はじめに
毎月短歌の深水英一郎さんにお声かけいただいて、毎月短歌34(2026年5月)から「毎月短歌 三首連作部門」の選者を務めている宇祖田都子(うそだみやこ)です。
7月はとても短歌に悩んだ月で、ほとんど作れませんでした。こういう時は、また作れるようになるまでのアップデート期間と割り切って、書いては消してを繰り返しています。
それでは、宇祖田都子が、寄せられた三首連作の中から、好きな作品を独断と偏見でひたすら紹介する、「今月の好きです」選を始めます。
選出の方法
作者名を伏せた状態で読んでいき「好きだな」と感じたものに印をつけます。それを、日をおいて三回行い、印の合計順で10~15作くらいを決定し紹介します。
その後、上記以外の連作の中から単独の短歌として好きなものに印をつけ、順不同で紹介します。連作中の一首を単独で採り上げることについては葛藤もあるのですが、好きな短歌として、ご紹介していくことに決めました。
それでは、今回選出した15作品をご紹介します。
毎月短歌36(2026年7月)三首連作部門
宇祖田都子の「今月の好きです」選
1.「Brushing up」Umi. さん @Umi1146295
2.「空があかるい」きいろい さん @kiroi_iorik
3.「みどりに迷う」くらたか湖春 さん @Koharu_kura
4.「森さんは宇宙から来た」汐留ライス さん @RCodome
5.「瘢痕」白水もめん さん @momen_2000
6.「誰も知らない」佐藤さめ さん @agukarasameni
7.「Groundline」インアン さん @InAn_erotica
8.「街を往く」あをい さん @awoi_up20
9.「サラダバー」汐留ライス さん @RCodome
10.「五時葵」大賀ミシン さん @MishinOga
11.「桃の産毛」砂のような さん @12Uum6TUwy16431
12.「軟着陸」ネムリカーテン さん @SgYqip
13.「甘い輪郭」砂のような さん @12Uum6TUwy16431
14.「一つずつ」奈路 侃 さん @osorakukajin
15.「触」水也 さん @m_iya_o
※ 順番は三回の通読後の印の合計数順です
それぞれの三首連作の感想
1.「Brushing up」Umi. さん
婚姻も離婚も同じ窓口で同じ笑顔の担当の人
花束じゃなく一輪で咲いている花の香りの香水を買う
新しい歯ブラシおろせばお別れはミント味歯磨き粉の爽涼
離婚届けを提出からの後日談と読みました。一首目の、「同じ笑顔の担当の人」を、こちらの決断を肯定してくれている人、ととらえてみます。そうすると、離婚届を二人で出した帰りに「婚姻届け出した時と同じ笑顔だったね」と、お茶などしている場面も想像できますし、香水を、「花束」のイメージから「一輪」で咲く花の凛とした強さを選ぶ理由も前向きな姿勢として受け止められるように思います。そして三首目。「新しい歯ブラシ」は、物としては小さく些細でありながら、強い心機一転感があると思います。まだ残っている歯磨き粉を途中で交換するのは勿体ないからそのままですが、歯ブラシが変われば「歯磨き粉」の「ミント味」の「爽涼」感も増し、その口で、さわやかな「さよなら」が改めて告げられる。颯爽と未来に向かう眼差しを感じる連作です。
2.「空があかるい」きいろい さん
牛乳の膜を掬って夕方を終えるいやだな空があかるい
輪郭を持てないしろい金魚らを主語を持たない話がつなぐ
忘れてもなくならないよむらさきのらせん階段降りたら川へ
まだ言葉として外に出せない疎外感、喪失感のようなことに対する漠然とした不安に彩られた連作と感じます。一首目の「夕方を終える」という言い方は、何等かの時間割に則った生活を思わせ、「牛乳の膜」というところから、夕方には温めたミルクが供される施設を想像しました。日が落ちて地上は影となったのに空だけが妙に明るい刻限を、逢魔が時と呼ぶことがあります。地上の暗さを際立たせる空の明るさが「いや」なのではないかと思います。「牛乳の膜」はある種の異物で、それを「掬う」=排除するという行為から、「疎外」のテーマがあるのではないかと思った次第です。明るい空と暗い地上との分離のイメージが世界を覆っています。そして二首目は別の意味での「疎外」が語られている、と読んでいきます。「輪郭を持てないしろい金魚ら」と語られる物を特定する必要はないのかもしれませんが、一首目の情景から、雲を想定してもよいかもしれません。また、何らかの傷を負った子らが暮らしている施設、という想定に乗れば、そのまま、ここにいる子供らを指すのかもしれませんが、そうすると、一首目と二首目とで語り手が変わってしまうようにも思われます。しかしいずれの場合も、「自我」を確立できていない子が…… と、ここまで書いて、今、思いつきました。この三首の語り手となりうる人を考えるとき、一首目の「牛乳の膜を掬う」のは、それを与える子供に対する職員的な人で、その人が「いやだな空があかるい」という子供みたいな感情ももっている。二首目で「主語のない話」という術語を使えるのは、子供ではなく、やはり職員的な(働き始めて間もないか、アルバイト的な、元ここで暮らしていた)方なのではないか。ならば、「輪郭を持てないしろい金魚ら」は、地の闇を照らさないくせに無暗と明るい空を流れていく雲に、子供たちを重ねていると考えることもできそうです。そして三首目は、この人の過去に関する歌(あかるい空がいやなわけ)と読みました。「らせん」と「むらさき」にはさまざまな意味が込められているのだと感じます。わたしも、この刻限の川原を知っています。空は明るい癖にだだっぴろい川原は石の輪郭すら曖昧で。それでいて、川の流れは空を映して切れ切れに光っている。自分の立っている場所だけが切り離されて、本当に「孤絶」していると感じました。その空を思い出す連作でした。
3.「みどりに迷う」くらたか湖春 さん
CMの割り込む頻度 聞いてない時のあなたの相槌みたい
さりげなく避けたつもりのピーマンが生んだちいさな樹海のみどり
またねって右手を振ればじゃあねって聞こえたような気がして秋だ
連想の連なる三首連作として読みます。一首目はネット配信動画にCMが多すぎて苛つく事を、恋人への不満に変換しています。「あなた」は些細なことと考えているかもしれないけれど、チリも積もれば山となる、だよ。と。このイメージが二首目に繋がります。ピーマンを避けているのが語り手ならば、誰かが作ってくれた料理を食べているところでしょう。ピラフとかにみじん切りで入っているピーマンを、スプーンで巧みにポイポイと避けているうち、皿に樹海みたいに残った、という情景。語り手は、きらいなものは除ける人なのです。三首目はまず、二首目のスプーンの動き(ポイポイとピーマンを除けるしぐさ)が手を振っているような感覚に繋がって、それが「さよなら」のときの動きにリンクします。と、同時に、一首目の「あなた」との間にそこはかとなく広がる倦怠感に「別れ」の予感を少しのせて、「またね」と言ってみたところ、「じゃあね」と返事が聞こえてきた気がした、という想像が歌われています。ところで、連作タイトル「みどりに迷う」の「みどり」は二首目にしかでてきません。三つのエピソードの焦点をタイトルの「迷う」ととらえるとき、一首目の「適当な相槌を打つあなた」二首目の「嫌いなピーマンで作った樹海」三首目の「じゃあね」が際立ってくると思われ、三首目の結句「秋だ」は、始まりではなく終わりを確信したのではないかと感じます。きらいなピーマンを除ける、という行動を二首目に据えた構成に震える連作です。
4.「森さんは宇宙から来た」汐留ライス さん
遠い星からやって来た森さんは誰より上手く箸を扱う
本当の名前を教えてくれたけどそれは地球の文字で書けない
星空を見ればいつでも思い出す酔って森さんが壊した月を
宇宙人はすでに地球人社会に溶け込んでいる。という話は以前からよく聞きます。この連作は二首目までは「~というていで」が成り立ちます。つまり、「森さん」は「遠い星からやってきた」ていで、「本当の名前」は「地球の文字では書けない」よ。というていで、おもしろがる、というノリですが、三首目はそのノリで読むわけにはいきません。というか、そのノリで読むと、以前、「森さん」というみんなに慕われていた方がいたんだよ、という連作になり、三首目はバーとかカラオケとかで夜空をイメージした店があったけど、そこで「酔った森さん」が「月」を壊しちゃったことがあって、あのときは参ったよね。みたいな思い出話になります。これを、三首目で地球から「月」は失われている、と考えたほうが、壮大になります。実際に、地球が月を失うと危機的なことになるそうですが、その辺りも、実はスーパーマンみたいだった森さんがなんとかしていってくれたのだろうと、無責任に事後を楽しみたい連作です。
5.「瘢痕」白水もめん さん
月光は傷口のための言語であり縫合痕まで発音をする
新月の病を見えぬとする世界盲目のまま月は満ちてゆく
完治とは皮膚に忘れ去られることそれでも月は瘢痕を読む
「月光」と「皮膚の傷」の関係性をエロティックに描写した連作と読みました。月光にはスポットライト性があり、執拗に嘗めまわしているように感じます。例えば、月に濡れる、という修辞は、月光の特徴を言い表したものと思います。しかしここでは「月光」を「言語」「発音」「読む」と表しています。これらを統合して考えると「点字を読む」という行為との近似性に思い至り、二首目に「盲目」が置かれていることに繋がります。しかし、わたしの中でこの二首目を、ちゃんと位置付けることができません。おそらくこの連作に記されている「傷口」「縫合痕」「完治」「瘢痕」は、一般的なものではなく、語り手自身のものでしょう。仮にこの連作の「月」を何等かの医療器具の比喩と捉えると、二首目は医療の限界と進歩を現しているのかもしれませんが、そのようにとるのはやはりおもしろくなく、アフォリズム的な意味合いをとりたいと思います。三首目は全てを暴き出す「月」の性(サガ)を感じます。「月」と「傷」の取り合わせにゾクゾクする連作です。
6.「誰も知らない」佐藤さめ さん
湯冷ましの習慣だけが抜けぬまま朝の汀に取り残される
夏空に雲のファスナー伸びてゆく3分間を誰も知らない
耳たぶの固さを思い出すように噛み締めている白玉団子
とても悲しい事故があったのではないかと推察します。一首目。もう使うことはないのに朝「湯冷まし」を用意するために湯を沸かしているのです。そうしないと一日を始めることができないのかもしれません。何が起こったのかは、二首目に書かれていますが、それは「誰も知らない」と閉じられます。静かな青空にゆっくり伸びていく飛行機雲をぼんやり眺めていたのか。疲れていたのかもしれません。その間およそ三分くらい、目を離してしまったのでしょうか。そして三首目。使う当てもなく一首目で沸かしてしまった湯で、「白玉団子」を作りました。「耳たぶ」を思い出すのは、もしかしたら首の座っていない子の頭を支えて沐浴させていたときの記憶からかもしれません。おさえた筆致に、悲しみがまだきちんと悲しみとして受け入れられない精神状態が痛々しく表現されている連作です。
7.「Groundline」インアン さん
アース線つなぎ終えたりAIとふたり出航せよ冷蔵庫
団欒も恋のひとつもできそうな問いがスマホに吸い込まれゆく
地球儀はあっけらかんと転がってゆく生意気な私を掠め
寓話味のある連作と読みました。AI搭載家電が増えましたね。冷蔵庫にはアース線が付き物ですが、「Groundline」というタイトル下で読むと、なんだか壮大な冒険に欠かせないものに感じられてくるのが素敵です。二首目はAIと普通に会話を楽しむ時代になりましたが、その会話のお相手が手の中におさまるスマートホンであることの奇妙さに気づかせてくれる歌だと思います。そして三首目は、情報機器を使いこなし、あらゆる情報と繋がっていると自負している「私」とは無縁に、自転、公転を続けている地球、宇宙、天体、自然の摂理の泰然自若さを詠んだものと思います。この場合「Groundline」に漕ぎ出しているのは「私」よりむしろ「地球儀」のほうではないかという気もしてきます。また、この連作に、「私」と別のもう一人との恋愛を想像するとき、一首目「AIとふたり出港せよ冷蔵庫」では、一緒に暮らし始めた二人が、二首目では、互いの交際に悩む二人がスマホ(AI)に相談しているさまが、そして三首目で、地球儀を「私」に向けて転がした(投げつけた?)のは、一緒に暮らしている相手で、これは喧嘩の様子を歌っていると読んでみたりして、「今」の暮らしを歌って楽しい連作です。
8.「街を往く」あをい さん
もう叶えられない夢に囚われて幻聴の潮騒を聴いてる
でも生きてゆくしかなくて紫陽花は土壌の質に合う色で咲く
私だけさみしい街で街路樹の名前を検索しながら歩く
夢破れ、あてどなく街を歩いている人を想います。それは潮騒が聴こえる街に関係した夢だったのかもしれません。自分でぜんぶ分かっている、という強がることを、足踏みの理由にしているような気がします。二首目の「でも」が、その弱さの吐露であると思います。この「でも」が取れないうちは、三首目の「わたしだけさみしい」という気持ちを捨てることはできないのではないかと。二首目で「紫陽花」を引き合いに出しているところは、季節柄というのはあるでしょうが、土に合わせて意に染まない色で嫌々咲いている紫陽花はなく、紫陽花は何色でも紫陽花として咲いている、ということに気づける予感があるのではないかと。また三首目で「街路樹の名前を検索しながら歩く」という行為も、たぶん長くは続かないだろうから、それに飽きたら多分また、違う何かを見つけていくんだろう、という将来への可能性が込められているのではないか、などと考えました。この街に居場所を求めている人の不安を切り取った連作です。
9.「サラダバー」汐留ライス さん
左手でしかく右手でさんかくをえがくみたいにぼくらずれてく
だんだんと会話は減るしだからってわかり合えてるわけでもないし
じゃあ逆に今日でお別れするときにサラダバーって言う人がいる?
ファミレスで話し合いをしている二人。最初は口数もすくなく、逆ベクトルの忖度をしあうみたいな、煮え切らない探り合いみたいな会話で、次第に険悪になっていく様子が伝わります。もう、一触即発です。二首目は本当のことすぎて悲しい。それはお互いに分かっていて、話し合わないとと思うけれど、「どうせ言ってもわからないでしょ」と思い込める程度には長く幻滅しすぎていて、かといって別れるか別れないという深刻さはバカバカしくて、という感じがズルズル続いていたのかなと。それでも、今夜こそちゃんと話し合おうと、ファミレスに来て、言いたいことを言い合おうとか言ってだんだんとエキサイトしていった挙句に、三首目の発言が、心情的にはほとんど怒鳴るみたいな感じで響き渡ります。「別れたいの?」「そっちこそ」「別れたいならはっきり言えよ」みたいに、自分からは決定的なことを言わない不毛で不可避なやりとりがあった後だと想像します。当人同士には「笑い」の要素はひとかけらもない、売り言葉に買い言葉の中に出て来る発言なのです。けれど、例えば隣の席でなりゆきを(聴こえちゃうから)ちょっとハラハラしながら聞いていた人にとっては、もう、笑いを堪えるの、大変じゃないかなと思いました。そういう、意図しないユーモアを拾うコントの味わいで楽しんだ連作です。
10.「五時葵」大賀ミシン さん
少しだけ日脚の伸びた中庭にまだ咲いている五時葵
変わるってきれいでしょうと言う母の管を夕日が透かしていた
台所には静けさだけが残っている Ctrl+Z Ctrl+Z…
五時葵は昼に咲いて夕方にしぼむ葵に似た花だそうです。一首目「少しだけ日脚の伸びた」と「まだ咲いている」に作者の心情が込められていると読みました。二首目の「変わるってきれいでしょう」という美しい言葉が、琴線に触れます。この「母」の言葉は含蓄があり簡単に意味をとることはできません。おそらくは、「母」のこれまでの人生経験から出てきた感情であり、言葉であると思うからです。そういう場合、この言葉はそのまま受け取るしかないのだと思います。下の句では「母」の容態が示されていると思います。経管栄養とか酸素マスクとか、医療用の管なのではないか。それが夕日を透かして輝いている様子は物悲しくも美しい光景だと思いました。一首目と二首目とが相まって、黄昏時の世界に包まれます。そこから一変して三首目は、その後のことなのでしょう。そこには「母」はなく、作者の悲しみだけが響いてきます。下の句は crz という絵文字にも似て、後悔、慟哭、床などを拳で叩くような激しい悲しみまで、想像させますが、上の句にあるように表面上は静かな台所です。しかし、ここに二首目で「母」が言った「変わるってきれいでしょう」が響いていることは間違いないと思うのです。それが救いになる、そう信じられる連作です。
11.「桃の産毛」砂のような さん
待ち人は来るはずないと待っている 桃の産毛は水を含んで
曖昧を好んで食べるエネルギー壊れたままの時計を腕に
どしゃ降りを切り裂くような足取りで傘を差してる ひまわりのよう
「桃の産毛」は洗えば取れてあとは皮ごと食べられるそうです。わたしは皮を剥きますが、今度は産毛を取って、皮ごとたべてみようかと思いました。一首目、二首目では「曖昧」で宙ぶらりんな状態にいるほうが、たぶん傷つかなくて済むと考えている様子が書かれていると思います。約束はしている。けれど確実に来るかどうかは分からない。電話して確認してもよいけれど、「いけない」と言われ、早々に来ないことが確定してしまうのも嫌だし、そもそも相手から否定的な言葉を聞かされるのがつらいのかなと思います。もし来たら、一緒に食べようと桃を冷やしているのです。産毛に気泡がついて光っていたりしているのでしょう。二首目。曖昧のままにしておくのも、けっこうたいへんなのだということだと思います。自分は待ち合わせに遅れないように、スマホを見て行動するけれど、待ち合わせ場所に(先に)着いてからは、スマホを見ないで、壊れた腕時計だけを見るのです。待ち合わせが何時だったのかとか、気にするからイライラするし不安になるのです。相手に対してはわたしの感覚そのものを狂わせておくほうがいいと、それくらい事前の連絡をくれないし、約束をすっぽかす常習犯だったのでしょう。三首目。そんな相手がやってくるのが窓から見えました。一首目で「来るはずない」と思っていたとはいえ、やはり窓の外を気にしていたのですね。「どしゃ降りを切り裂くような足取りで」と言います。そういうところが好きなのだろうと感じます。結句の「(一字空き)ひまわりのよう」は、「どしゃ降り」の雨にさしている「傘」が、自分にとっては「ひまわり」みたいに明るく元気に輝いてみえた、ということと、そんな風に思えた自分に戸惑っている、という感情がうかがえます。この全体を「桃の産毛」に象徴させるのは、とてもお洒落です。(ちょっと思ったのは、一首目、二首目に書かれているくらい、会う予定が立てづらく、今日はたまたまどしゃ降りだったから、予定がキャンセルになって会いにこれたのだとすると、「不倫」が垣間見えるような気がしましたが、多分考えすぎですね。)会いたい気持ちが溢れ出す連作です。
12.「軟着陸」ネムリカーテン さん
おとうさんが港行くって言うけえね、ぐるっと廻って帰ってきたんよ
塾帰りのわたしにドライバーは言う後部座席に祖父を残して
前ならえするじいちゃんの手を取ってちいさなちいさな歩幅に合わせる
一首目の方言がとても効いています。塾の迎えにきてくれた車に「じいちゃん」が乗っていた夜を描いた連作。二首目の「ドライバー」という言葉がなければ、家族の物語として読み終えるのですが、「ドライバー」について考えてみたくなります。「ドライバー」は「わたし」が「祖父」と呼ぶ人を「おとうさん」と呼びます。すると、「ドライバー」は「わたし」にとっては父か母ということになりますが、「わたし」はそう呼ぶことを拒否し、三首目では「じいちゃん」の手を「わたし」がとって、介護しています。その時「ドライバー」は車庫入れをしていたから、という風に考えてもいいのですが、それを踏まえて考えると、「ドライバー」は「継父(母)」であり、「わたし」はその再婚に反対している、という想像をしたくなります。そうだとしても、家族の話であることに変わりはありません。「軟着陸」というタイトルと合わせて、とても複雑に揺れる「わたし」の心が表されている連作です。
13.「甘い輪郭」砂のような さん
露草の青に染みこむ雨粒に重ねてしまう仄かな日々を
羽衣のような薄手のカーディガンやさしくなぞる梅雨寒の腕
雨の音 ぼぉーぼぉーと鳴っている汽笛みたな薄い輪郭
とても繊細な感覚で成り立っている連作と読みました。一首目。「露草」という小さな花びらの「青に染み込む雨粒に重ねてしま」えるほど「仄かな日々」だというのです。その繊細で儚ない美しさにハッとします。そのように思える日々とはどのようなものなのか。雨の日に傘をさしかけ蹲り露草に降る雨を見ている、ような日々には、どことなく、淋しさも感じます。露草の青だけでなく、そこに染み込む(輪郭を失っていく?)雨粒に焦点があり、それは落ちたり蒸発したりして消えてしまうものですが、露草の花の青に染み込む間だけを「仄かな日々」に「重ねてしまう」と読み直すと、刹那的で危い感じが強くなります。二首目は「羽衣のような薄手のカーディガン」です。梅雨寒なのでカーディガンを羽織って自らの腕でさすっているところかなと、最初は読んでいたのですが、「カーディガン」を「やさしくなぞる梅雨寒の腕」は、やはり恋人かもしれないと思いなおしました。恋人が登場するして一首目を読み直すと、露草の青い花びらの上に消え入りそうな雨粒が抱かれている情景としてみることができそうです。二首目に戻ります。相手の腕が振れているのがカーディガン越しというところに焦点がある気がします。一首目の「露草」の「青が染み入る」という間接性と響き合うように思います。「羽衣」というと三保の松原の天女伝説も思い起こされ、別れ、消えてしまう、という悲しさを予感しているかのようです。その腕は冷たい(梅雨寒の腕)、というのも気にかかります。三首目は「雨の音」と「ぼぉーぼぉーと鳴っている汽笛」のそれぞれの「輪郭」の「薄さ」が似ている、と言っています。この三首連作は、一首目も二首目も雨が降っていました。雨の音は一粒一粒が地上の何かのぶつかった時の音が合わさったもので「ここからここまでの雨の音」というように輪郭を決めるのは不可能です。汽笛の響きも同様で、どこからどこまで届きどんな形状をしているのか輪郭を定めることはできません。どちらも周縁に向かうにつれて次第に減衰し、消えていくものです。日々の生活も、愛してくれる人も、ここからここまでという輪郭をもたず、だんだんとフェードアウトしていく。それだけであれば物悲しい連作ですが、タイトルは「甘い輪郭」です。「甘い」というのは「きっちりしていない。明確でない」という意味を持ちますが、やはり本来の「甘い」という意味合いも採りたいと思います。輪郭が薄いからこそ、わたしたちは互いに貫入しあい、溶け合い、分かり合うことができるのではないか。存在することは輪郭を持つことですが、その輪郭が曖昧で、だから、いつか消えなければならないけれど、だからこそ、重なり合うこともできる。そんなことを考えさせてくれる連作です。
14.「一つずつ」奈路 侃 さん
二択では生きられなくて病院に行くために乗る東海道線
一つずつ我が身を削るこの日々が我が身を作っているのだとして
命とは何かを問うた生活に振り撒いていくカビ取りスプレー
一首目。生きていくために無数の選択を繰り返しています。その中には相反する選択を同時に行うような理不尽なものがあったり、単純にAかBかを決めればうまくいくものばかりではありません。そしてこういう問題に直面するのは、たいていは人生のマイナスの転機を迎えるときです。身内の病、介護、死別、本人の病、老化、などなど。二首目。人間はどこかで死ぬので、今日よりも明日は死に近いのは間違いのないことです。しかし、このことが成長の過程でもあることもまた間違いないのです。一定の年齢からは衰えていくばかりだと思えば悲観的になります。できていたことができなくなって情けない、とか考えていても暗くなるばかりです。過去の栄光などにすがりたい気持ちもわかりますが、極論すれば、過去の自分は他人ですから、あまり寄りかからないほうがいい。それも含めて今の自分を作っているのだよ、と言っています。三首目。「命とは何かを問うた生活」とは、「何のための生きているのか」を考える生活だと思います。この「生きている」ということを絶えず忘れないでいられるよう、カビをはやさないよう、「カビ取りスプレーを振り撒いていく」のだ」と。「命とは」、「生きる」ために「生きる」ことだと力強く訴えてくれる連作と読みました。
15.「触」水也 さん
触れていい 硝子のふちをなぞるよう手首の内側をたどるよう
きみの手に触れるゆるしがほしくってサイダーの瓶ゆらして祈る
うたかたのときをたゆたう 触れるにはもう遅くって地面をあるく
十分に鑑賞できたとは言えないのですが、一首目は「触れていい」という許可されたものがあり、その触れ方は「硝子のふちをなぞるよう」にであり「手首の内側をたどるよう」にであると、言っています。「手首の内側をたどる」ように触れるのは、かなり親密な関係性だと感じられるので、そうすると初句の「触れていい」が、許可なのかどうかも揺らぎます。二首目には触れたいけれど、まだ触れていいという「ゆるし」がない「きみの手」が出てきます。「触れる許し」を得るために「サイダーの瓶ゆらして祈る」のですが、「サイダーの瓶」を手渡すときに偶然「きみの手に触れる」のを期待しているというだけではなさそうで、「サイダーの瓶をゆらす」と栓を開けた時、サイダーが噴き出すので、そのどさくさで手に触れるとか、「サイダー」がかかった「きみの手」を拭いてあげるときに触れようとしているのかもしれません。一首目の「触れていい」とされている物(?)と、二首目の「きみの手」との関係がまだ分かりませんが、「ガラスのふち」と「サイダーの瓶」。「手首の内側」と「きみの手」が呼応していると思います。保留して三首目を読みます。上の句は「時が経った」という修辞であろうと思います。二首目の「サイダー」の泡と「うたかた」は繋がります。「たゆとう」は二首目の「ゆらす」のイメージが引き継がれているとともに、三首目の下の句の「地面を歩く」との対比を成しています。重要なのは、時が経って「触れるにはもう遅」くなってしまって「地面をあるく」というところだと思いますが、ここがきちんと読めていないため、三首連作としてきちんと鑑賞しきれていないのです。三首目の時間経過は、実はさほど長くなく、たとえば、この連作を臨海学校での一コマに設定してみると、三首目の時間には、みんな砂浜から宿舎などに戻っていて、渚の開放的な雰囲気がなくなってしまった、とこじつけることができるかもしれません。(中断)
一晩おいて、もどってきました。
一首目は、親や神が、わたしたちに触れることを許しているのだと読み直します。どんなものにでも、「ガラスのふちをなぞるよう」に、そっとやさしく、「手首の内側をたどるよう」に、対象を尊重して、親密に。そうやって世界に触れることを許された存在なのだと。二首目は、第二次性徴の頃、異性に対する興味、性の目覚めなどの変化を受けて、相手に触れたいという想いに焦がれる歌と読みました。そして三首目。やはり読み方は揺れるのですが、成長という流れでよむと、大人社会で他人に「触れる」ことの困難を歌ったもの。あるいは、触れたい相手がいる、という流れで読むと、その相手と離れ離れになって(亡くなってしまった、も含め)、残された自分はこの世界で一人で歩いていくしかない。という歌。
すごく、長くなってしまいましたが、わたしがこちらの三首連作をどんな風に読んでいるかを、そのまま書いてみました。気になる連作です。
連作内の好きな一首と一言感想(掲載順不同)
のど飴をこっそり舐めるひとだけが解読できる問題がある
茶葉 さん @chaba_tea1 「いつかの昼下がり」三首目
はっきりと断定されているところから、どんな問題なのか考えたくなります。
水たまり無数の波紋浮かび消えほんとのことはわからないまま
梅ふふむ さん @umefufum 「酸性雨に打たれて」一首目
降り注ぐ雨のように入り混じる嘘と本当が世間に広がっては消えていくさまが見えます。
月光が海の広さを照らすからまだ見ぬ花が香りだすから
千井さき さん @chii57577 「月と回遊」二首目
壮大な世界が月明かりに浮かび、知らない花が香り始めるという美しい予感の歌です。
タルトタタン 逆さのままの惑星が引力だけで編まれた記憶
白水もめん さん @momen_2000 「引力の食卓」二首目
魅力的な響きのタルトタタンから始まり、言葉の力で引き込まれます。
ぴったりと合う片割れを持たぬまま割れて崩れてゆく二枚貝
谷まのん さん @tanimanon258x 「残念な海」二首目
かつては対であったはずの二枚貝の片割れに自分を投影する悲しみを感じます。
黙らしたカニに黙らされている笑うニカニカニカニカニカニ
非常口ドット さん @hijyouguchi_dot 「食い道楽」二首目
初句「黙らしたカニ」という把握が凄いと思いました。
愛あれどまた頂に置けぬままらいてうの棲む山を見上げる
笹辺まこと さん @sasanobemakoto 「山動かぬ日」一首目
女性解放運動の観点から皇室典範を批判する意欲作です。
ねぇ聞いて?何かになってみたいのに6月の空みたいになって
真朱 さん @l0vemash 「7月になれない」二首目
短歌定型に落とし込んだ語り口に、その人の全部が詰まっています。
あと一杯のんだら帰ると決めてから誰もグラスに口をつけない
きいろい さん @kiroi_iorik 「のんだら帰る」三首目
解散が名残惜しい楽しい飲み会だったのだろうな、うらやましいです。
流氷を渡れば軽やかな悲鳴アイスコーヒーの上辺をつつく
しみず さん @Itsuki_Mao 「メルトダウンを思い出してる」一首目
何かを始める前の、さまざまな想いがまだちゃんとした形にならないままある、そんな時間です。
Gemini Siri Alexaチャッピーみんな聞いて世界征服やめたくないよ
稲井亮太 さん @3404_g_ 「つまんない最期」三首目
訴えている対象がみんなAIというところに、切実さと滑稽さがあります。
香水がふわりと風に溶け込んで一時停止のボタンを押した
真朱 さん @l0vemash 「きみの溶け込む距離」三首目
その瞬間をとどめておきたい、という焦燥と衝動に、むしろ記録を止めてしまうというジレンマに、共感します。
やめてやれこの子に名前は要らないよあゝほら犬がポチになっちゃう
星乃脚 さん @star_legmb 「哲学騙り」三首目
「固有名」のことは常々考えてしまいます。名付けることで変化する関係性のことなども。
集計の結果不死身になることが既に決まっている俵万智
玄田生 さん @tori_chikushou 「俵万智」二首目
「俵万智」の影響の大きさを完全に言い表した歌だと思います。
私って箱入り娘 姉さんは甘いものを食べるのが速い
空虚 シガイ @36aoRu1Re4K4AbR 「何気なさすぎる」二首目
ごくナチュラルに、上から、わたしと姉を比較する視点で書かれています。
微笑んでもらいたいだけほんとうのナンはこんなにでっかくないぜ
沙々キハム さん @matsuqing 「なんなんなん?」三首目
ほんとうのナンというものを、わたしはまだ知らないのだ、と思います。
正解はまだ出てないか見慣れない顔が並んだダイエット本
非常口ドット さん @hijyouguchi_dot 「ほんのかお」二首目
次々と現れる「ダイエット本」を三十一音で表し尽くしていると思います。
理由なら近くにいるというだけの寂しい君と絡ませる足
おなかいたいの さん @onakaitainoyo 「タラバは高い」三首目
「タラバ」蟹に引き付けて詠んだ歌、というところに凄さを感じます。
結論はないのだろうね俺たちにとって花屋があるということ
一文字零 さん @Re_I_0114 「花屋にて」三首目
結論付けてしまうと、そこから漏れたさまざまなことが失われてしまうのだと思います。
僕たちは踏み潰したアリの数を知らないままで星を数える
いろど(Irod') さん @tankairod 「僕たちは」一首目
寓話として、多くのものを含蓄する対比だと思いました。
おわりに
今回寄せられた60作品を通読して、「内容を読み取る」のが難しいものが多かったように思います。短歌は「言わないことで言う」型の詩なので、語彙、省略、飛躍、比喩、連想を、読み手が解読する手続きの中で、その歌に没入していくしかありません。
三首連作では、短歌三首とタイトルの言葉から、作者の世界を再構築していくのですが、生きてきた環境が異なる者の間でやりとりされる暗号だとすれば、解読のコードが合わないということは多々起こりえるので、どうしても曖昧な部分が多くなりますし、解読の結果が作者の世界とはかけ離れてしまうことがほとんどでしょう。
けれど、わたしはわたしのコードを用いるしかなく、だから「解読不能」な短歌があってもいいのだと思いますし、いつか読みとることができるようになるかもしれない、とも思うのです。読み手に委ねる割合が大きな詩形は、それだからこそ、読み手に嵌れば、自分の根幹となる部位にまで食い込み根付きます。それが特長であり力だと思います。
と言いつつ、わたしが「好きです」の印をつけるときは、歌の「内容」や「意味」が採れるかどうかは、あまり重要視していません。「好きです」はその都度、瞬時に決まります。おそらく、短歌を形成する言葉の、言語セット(のようなもの)、響き、並びを共時的に把握しているのだと思います。なので、それぞれの感想を書こうとすると、「好きだけど、内容がとれない」ということが起こります。
わたしはなぜ、その作品が「好き」なのかを言語化する試みが「今月の好きです」だと思っています。
とても長くなってしまいましたが、今月は以上です。ありがとうございました。
選者 宇祖田都子とは
毎月短歌の深水英一郎さんにお声かけいただいて、毎月短歌34(2026年5月)から「毎月短歌 三首連作部門」の選者を務めている宇祖田都子(うそだみやこ)です。
わたしは、結社に所属したこともなく、短歌による実績はなにもありませんし、わたし自身の短歌も、全然首が座っていない状態なので、説得力がないのでは? とも思ったのですが、いただいたご縁はなるべく大事にしたいと思っておりますので、お引き受けいたしました。
ひじょうに偏った「好きです」の迸る内容になると思うのですが、どうぞよろしくお願いいたします。


とてもうれしい サイン本です。