宇祖田都子の短歌の話

森羅万象を三十一音に

毎月短歌36(2026年7月)三首連作部門 宇祖田都子の「今月の好きです」選

はじめに

 毎月短歌の深水英一郎さんにお声かけいただいて、毎月短歌34(2026年5月)から「毎月短歌 三首連作部門」の選者を務めている宇祖田都子(うそだみやこ)です。

 7月はとても短歌に悩んだ月で、ほとんど作れませんでした。こういう時は、また作れるようになるまでのアップデート期間と割り切って、書いては消してを繰り返しています。

 それでは、宇祖田都子が、寄せられた三首連作の中から、好きな作品を独断と偏見でひたすら紹介する、「今月の好きです」選を始めます。

選出の方法

 作者名を伏せた状態で読んでいき「好きだな」と感じたものに印をつけます。それを、日をおいて三回行い、印の合計順で10~15作くらいを決定し紹介します。
 その後、上記以外の連作の中から単独の短歌として好きなものに印をつけ、順不同で紹介します。連作中の一首を単独で採り上げることについては葛藤もあるのですが、好きな短歌として、ご紹介していくことに決めました。

 それでは、今回選出した15作品をご紹介します。

毎月短歌36(2026年7月)三首連作部門
宇祖田都子の「今月の好きです」選

  1.「Brushing up」Umi. さん           @Umi1146295

  2.「空があかるい」きいろい さん      @kiroi_iorik

  3.「みどりに迷う」くらたか湖春 さん    @Koharu_kura

  4.「森さんは宇宙から来た」汐留ライス さん @RCodome

  5.「瘢痕」白水もめん さん         @momen_2000

  6.「誰も知らない」佐藤さめ さん      @agukarasameni

  7.「Groundline」インアン さん       @InAn_erotica

  8.「街を往く」あをい さん         @awoi_up20

  9.「サラダバー」汐留ライス さん      @RCodome

10.「五時葵」大賀ミシン さん        @MishinOga

11.「桃の産毛」砂のような さん       @12Uum6TUwy16431

12.「軟着陸」ネムリカーテン さん      @SgYqip

13.「甘い輪郭」砂のような さん       @12Uum6TUwy16431

14.「一つずつ」奈路 侃 さん           @osorakukajin

15.「触」水也 さん             @m_iya_o

※ 順番は三回の通読後の印の合計数順です

それぞれの三首連作の感想

  1.「Brushing up」Umi. さん

婚姻も離婚も同じ窓口で同じ笑顔の担当の人
花束じゃなく一輪で咲いている花の香りの香水を買う
新しい歯ブラシおろせばお別れはミント味歯磨き粉の爽涼

 離婚届けを提出からの後日談と読みました。一首目の、「同じ笑顔の担当の人」を、こちらの決断を肯定してくれている人、ととらえてみます。そうすると、離婚届を二人で出した帰りに「婚姻届け出した時と同じ笑顔だったね」と、お茶などしている場面も想像できますし、香水を、「花束」のイメージから「一輪」で咲く花の凛とした強さを選ぶ理由も前向きな姿勢として受け止められるように思います。そして三首目。「新しい歯ブラシ」は、物としては小さく些細でありながら、強い心機一転感があると思います。まだ残っている歯磨き粉を途中で交換するのは勿体ないからそのままですが、歯ブラシが変われば「歯磨き粉」の「ミント味」の「爽涼」感も増し、その口で、さわやかな「さよなら」が改めて告げられる。颯爽と未来に向かう眼差しを感じる連作です。

2.「空があかるい」きいろい さん

牛乳の膜を掬って夕方を終えるいやだな空があかるい
輪郭を持てないしろい金魚らを主語を持たない話がつなぐ
忘れてもなくならないよむらさきのらせん階段降りたら川へ

 まだ言葉として外に出せない疎外感、喪失感のようなことに対する漠然とした不安に彩られた連作と感じます。一首目の「夕方を終える」という言い方は、何等かの時間割に則った生活を思わせ、「牛乳の膜」というところから、夕方には温めたミルクが供される施設を想像しました。日が落ちて地上は影となったのに空だけが妙に明るい刻限を、逢魔が時と呼ぶことがあります。地上の暗さを際立たせる空の明るさが「いや」なのではないかと思います。「牛乳の膜」はある種の異物で、それを「掬う」=排除するという行為から、「疎外」のテーマがあるのではないかと思った次第です。明るい空と暗い地上との分離のイメージが世界を覆っています。そして二首目は別の意味での「疎外」が語られている、と読んでいきます。「輪郭を持てないしろい金魚ら」と語られる物を特定する必要はないのかもしれませんが、一首目の情景から、雲を想定してもよいかもしれません。また、何らかの傷を負った子らが暮らしている施設、という想定に乗れば、そのまま、ここにいる子供らを指すのかもしれませんが、そうすると、一首目と二首目とで語り手が変わってしまうようにも思われます。しかしいずれの場合も、「自我」を確立できていない子が…… と、ここまで書いて、今、思いつきました。この三首の語り手となりうる人を考えるとき、一首目の「牛乳の膜を掬う」のは、それを与える子供に対する職員的な人で、その人が「いやだな空があかるい」という子供みたいな感情ももっている。二首目で「主語のない話」という術語を使えるのは、子供ではなく、やはり職員的な(働き始めて間もないか、アルバイト的な、元ここで暮らしていた)方なのではないか。ならば、「輪郭を持てないしろい金魚ら」は、地の闇を照らさないくせに無暗と明るい空を流れていく雲に、子供たちを重ねていると考えることもできそうです。そして三首目は、この人の過去に関する歌(あかるい空がいやなわけ)と読みました。「らせん」と「むらさき」にはさまざまな意味が込められているのだと感じます。わたしも、この刻限の川原を知っています。空は明るい癖にだだっぴろい川原は石の輪郭すら曖昧で。それでいて、川の流れは空を映して切れ切れに光っている。自分の立っている場所だけが切り離されて、本当に「孤絶」していると感じました。その空を思い出す連作でした。

 3.「みどりに迷う」くらたか湖春 さん

CMの割り込む頻度 聞いてない時のあなたの相槌みたい
さりげなく避けたつもりのピーマンが生んだちいさな樹海のみどり
またねって右手を振ればじゃあねって聞こえたような気がして秋だ

 連想の連なる三首連作として読みます。一首目はネット配信動画にCMが多すぎて苛つく事を、恋人への不満に変換しています。「あなた」は些細なことと考えているかもしれないけれど、チリも積もれば山となる、だよ。と。このイメージが二首目に繋がります。ピーマンを避けているのが語り手ならば、誰かが作ってくれた料理を食べているところでしょう。ピラフとかにみじん切りで入っているピーマンを、スプーンで巧みにポイポイと避けているうち、皿に樹海みたいに残った、という情景。語り手は、きらいなものは除ける人なのです。三首目はまず、二首目のスプーンの動き(ポイポイとピーマンを除けるしぐさ)が手を振っているような感覚に繋がって、それが「さよなら」のときの動きにリンクします。と、同時に、一首目の「あなた」との間にそこはかとなく広がる倦怠感に「別れ」の予感を少しのせて、「またね」と言ってみたところ、「じゃあね」と返事が聞こえてきた気がした、という想像が歌われています。ところで、連作タイトル「みどりに迷う」の「みどり」は二首目にしかでてきません。三つのエピソードの焦点をタイトルの「迷う」ととらえるとき、一首目の「適当な相槌を打つあなた」二首目の「嫌いなピーマンで作った樹海」三首目の「じゃあね」が際立ってくると思われ、三首目の結句「秋だ」は、始まりではなく終わりを確信したのではないかと感じます。きらいなピーマンを除ける、という行動を二首目に据えた構成に震える連作です。

 4.「森さんは宇宙から来た」汐留ライス さん

遠い星からやって来た森さんは誰より上手く箸を扱う
本当の名前を教えてくれたけどそれは地球の文字で書けない
星空を見ればいつでも思い出す酔って森さんが壊した月を

 宇宙人はすでに地球人社会に溶け込んでいる。という話は以前からよく聞きます。この連作は二首目までは「~というていで」が成り立ちます。つまり、「森さん」は「遠い星からやってきた」ていで、「本当の名前」は「地球の文字では書けない」よ。というていで、おもしろがる、というノリですが、三首目はそのノリで読むわけにはいきません。というか、そのノリで読むと、以前、「森さん」というみんなに慕われていた方がいたんだよ、という連作になり、三首目はバーとかカラオケとかで夜空をイメージした店があったけど、そこで「酔った森さん」が「月」を壊しちゃったことがあって、あのときは参ったよね。みたいな思い出話になります。これを、三首目で地球から「月」は失われている、と考えたほうが、壮大になります。実際に、地球が月を失うと危機的なことになるそうですが、その辺りも、実はスーパーマンみたいだった森さんがなんとかしていってくれたのだろうと、無責任に事後を楽しみたい連作です。

5.「瘢痕」白水もめん さん

月光は傷口のための言語であり縫合痕まで発音をする
新月の病を見えぬとする世界盲目のまま月は満ちてゆく
完治とは皮膚に忘れ去られることそれでも月は瘢痕を読む

 「月光」と「皮膚の傷」の関係性をエロティックに描写した連作と読みました。月光にはスポットライト性があり、執拗に嘗めまわしているように感じます。例えば、月に濡れる、という修辞は、月光の特徴を言い表したものと思います。しかしここでは「月光」を「言語」「発音」「読む」と表しています。これらを統合して考えると「点字を読む」という行為との近似性に思い至り、二首目に「盲目」が置かれていることに繋がります。しかし、わたしの中でこの二首目を、ちゃんと位置付けることができません。おそらくこの連作に記されている「傷口」「縫合痕」「完治」「瘢痕」は、一般的なものではなく、語り手自身のものでしょう。仮にこの連作の「月」を何等かの医療器具の比喩と捉えると、二首目は医療の限界と進歩を現しているのかもしれませんが、そのようにとるのはやはりおもしろくなく、アフォリズム的な意味合いをとりたいと思います。三首目は全てを暴き出す「月」の性(サガ)を感じます。「月」と「傷」の取り合わせにゾクゾクする連作です。

 6.「誰も知らない」佐藤さめ さん

湯冷ましの習慣だけが抜けぬまま朝の汀に取り残される
夏空に雲のファスナー伸びてゆく3分間を誰も知らない
耳たぶの固さを思い出すように噛み締めている白玉団子

 とても悲しい事故があったのではないかと推察します。一首目。もう使うことはないのに朝「湯冷まし」を用意するために湯を沸かしているのです。そうしないと一日を始めることができないのかもしれません。何が起こったのかは、二首目に書かれていますが、それは「誰も知らない」と閉じられます。静かな青空にゆっくり伸びていく飛行機雲をぼんやり眺めていたのか。疲れていたのかもしれません。その間およそ三分くらい、目を離してしまったのでしょうか。そして三首目。使う当てもなく一首目で沸かしてしまった湯で、「白玉団子」を作りました。「耳たぶ」を思い出すのは、もしかしたら首の座っていない子の頭を支えて沐浴させていたときの記憶からかもしれません。おさえた筆致に、悲しみがまだきちんと悲しみとして受け入れられない精神状態が痛々しく表現されている連作です。

7.「Groundline」インアン さん

アース線つなぎ終えたりAIとふたり出航せよ冷蔵庫
団欒も恋のひとつもできそうな問いがスマホに吸い込まれゆく
地球儀はあっけらかんと転がってゆく生意気な私を掠め

 寓話味のある連作と読みました。AI搭載家電が増えましたね。冷蔵庫にはアース線が付き物ですが、「Groundline」というタイトル下で読むと、なんだか壮大な冒険に欠かせないものに感じられてくるのが素敵です。二首目はAIと普通に会話を楽しむ時代になりましたが、その会話のお相手が手の中におさまるスマートホンであることの奇妙さに気づかせてくれる歌だと思います。そして三首目は、情報機器を使いこなし、あらゆる情報と繋がっていると自負している「私」とは無縁に、自転、公転を続けている地球、宇宙、天体、自然の摂理の泰然自若さを詠んだものと思います。この場合「Groundline」に漕ぎ出しているのは「私」よりむしろ「地球儀」のほうではないかという気もしてきます。また、この連作に、「私」と別のもう一人との恋愛を想像するとき、一首目「AIとふたり出港せよ冷蔵庫」では、一緒に暮らし始めた二人が、二首目では、互いの交際に悩む二人がスマホ(AI)に相談しているさまが、そして三首目で、地球儀を「私」に向けて転がした(投げつけた?)のは、一緒に暮らしている相手で、これは喧嘩の様子を歌っていると読んでみたりして、「今」の暮らしを歌って楽しい連作です。

8.「街を往く」あをい さん

もう叶えられない夢に囚われて幻聴の潮騒を聴いてる
でも生きてゆくしかなくて紫陽花は土壌の質に合う色で咲く
私だけさみしい街で街路樹の名前を検索しながら歩く

 夢破れ、あてどなく街を歩いている人を想います。それは潮騒が聴こえる街に関係した夢だったのかもしれません。自分でぜんぶ分かっている、という強がることを、足踏みの理由にしているような気がします。二首目の「でも」が、その弱さの吐露であると思います。この「でも」が取れないうちは、三首目の「わたしだけさみしい」という気持ちを捨てることはできないのではないかと。二首目で「紫陽花」を引き合いに出しているところは、季節柄というのはあるでしょうが、土に合わせて意に染まない色で嫌々咲いている紫陽花はなく、紫陽花は何色でも紫陽花として咲いている、ということに気づける予感があるのではないかと。また三首目で「街路樹の名前を検索しながら歩く」という行為も、たぶん長くは続かないだろうから、それに飽きたら多分また、違う何かを見つけていくんだろう、という将来への可能性が込められているのではないか、などと考えました。この街に居場所を求めている人の不安を切り取った連作です。

9.「サラダバー」汐留ライス さん

左手でしかく右手でさんかくをえがくみたいにぼくらずれてく
だんだんと会話は減るしだからってわかり合えてるわけでもないし
じゃあ逆に今日でお別れするときにサラダバーって言う人がいる?

 ファミレスで話し合いをしている二人。最初は口数もすくなく、逆ベクトルの忖度をしあうみたいな、煮え切らない探り合いみたいな会話で、次第に険悪になっていく様子が伝わります。もう、一触即発です。二首目は本当のことすぎて悲しい。それはお互いに分かっていて、話し合わないとと思うけれど、「どうせ言ってもわからないでしょ」と思い込める程度には長く幻滅しすぎていて、かといって別れるか別れないという深刻さはバカバカしくて、という感じがズルズル続いていたのかなと。それでも、今夜こそちゃんと話し合おうと、ファミレスに来て、言いたいことを言い合おうとか言ってだんだんとエキサイトしていった挙句に、三首目の発言が、心情的にはほとんど怒鳴るみたいな感じで響き渡ります。「別れたいの?」「そっちこそ」「別れたいならはっきり言えよ」みたいに、自分からは決定的なことを言わない不毛で不可避なやりとりがあった後だと想像します。当人同士には「笑い」の要素はひとかけらもない、売り言葉に買い言葉の中に出て来る発言なのです。けれど、例えば隣の席でなりゆきを(聴こえちゃうから)ちょっとハラハラしながら聞いていた人にとっては、もう、笑いを堪えるの、大変じゃないかなと思いました。そういう、意図しないユーモアを拾うコントの味わいで楽しんだ連作です。

10.「五時葵」大賀ミシン さん

少しだけ日脚の伸びた中庭にまだ咲いている五時葵
変わるってきれいでしょうと言う母の管を夕日が透かしていた
台所には静けさだけが残っている Ctrl+Z Ctrl+Z…

 五時葵は昼に咲いて夕方にしぼむ葵に似た花だそうです。一首目「少しだけ日脚の伸びた」と「まだ咲いている」に作者の心情が込められていると読みました。二首目の「変わるってきれいでしょう」という美しい言葉が、琴線に触れます。この「母」の言葉は含蓄があり簡単に意味をとることはできません。おそらくは、「母」のこれまでの人生経験から出てきた感情であり、言葉であると思うからです。そういう場合、この言葉はそのまま受け取るしかないのだと思います。下の句では「母」の容態が示されていると思います。経管栄養とか酸素マスクとか、医療用の管なのではないか。それが夕日を透かして輝いている様子は物悲しくも美しい光景だと思いました。一首目と二首目とが相まって、黄昏時の世界に包まれます。そこから一変して三首目は、その後のことなのでしょう。そこには「母」はなく、作者の悲しみだけが響いてきます。下の句は crz  という絵文字にも似て、後悔、慟哭、床などを拳で叩くような激しい悲しみまで、想像させますが、上の句にあるように表面上は静かな台所です。しかし、ここに二首目で「母」が言った「変わるってきれいでしょう」が響いていることは間違いないと思うのです。それが救いになる、そう信じられる連作です。

11.「桃の産毛」砂のような さん

待ち人は来るはずないと待っている 桃の産毛は水を含んで
曖昧を好んで食べるエネルギー壊れたままの時計を腕に
どしゃ降りを切り裂くような足取りで傘を差してる ひまわりのよう

 「桃の産毛」は洗えば取れてあとは皮ごと食べられるそうです。わたしは皮を剥きますが、今度は産毛を取って、皮ごとたべてみようかと思いました。一首目、二首目では「曖昧」で宙ぶらりんな状態にいるほうが、たぶん傷つかなくて済むと考えている様子が書かれていると思います。約束はしている。けれど確実に来るかどうかは分からない。電話して確認してもよいけれど、「いけない」と言われ、早々に来ないことが確定してしまうのも嫌だし、そもそも相手から否定的な言葉を聞かされるのがつらいのかなと思います。もし来たら、一緒に食べようと桃を冷やしているのです。産毛に気泡がついて光っていたりしているのでしょう。二首目。曖昧のままにしておくのも、けっこうたいへんなのだということだと思います。自分は待ち合わせに遅れないように、スマホを見て行動するけれど、待ち合わせ場所に(先に)着いてからは、スマホを見ないで、壊れた腕時計だけを見るのです。待ち合わせが何時だったのかとか、気にするからイライラするし不安になるのです。相手に対してはわたしの感覚そのものを狂わせておくほうがいいと、それくらい事前の連絡をくれないし、約束をすっぽかす常習犯だったのでしょう。三首目。そんな相手がやってくるのが窓から見えました。一首目で「来るはずない」と思っていたとはいえ、やはり窓の外を気にしていたのですね。「どしゃ降りを切り裂くような足取りで」と言います。そういうところが好きなのだろうと感じます。結句の「(一字空き)ひまわりのよう」は、「どしゃ降り」の雨にさしている「傘」が、自分にとっては「ひまわり」みたいに明るく元気に輝いてみえた、ということと、そんな風に思えた自分に戸惑っている、という感情がうかがえます。この全体を「桃の産毛」に象徴させるのは、とてもお洒落です。(ちょっと思ったのは、一首目、二首目に書かれているくらい、会う予定が立てづらく、今日はたまたまどしゃ降りだったから、予定がキャンセルになって会いにこれたのだとすると、「不倫」が垣間見えるような気がしましたが、多分考えすぎですね。)会いたい気持ちが溢れ出す連作です。

12.「軟着陸」ネムリカーテン さん

おとうさんが港行くって言うけえね、ぐるっと廻って帰ってきたんよ
塾帰りのわたしにドライバーは言う後部座席に祖父を残して
前ならえするじいちゃんの手を取ってちいさなちいさな歩幅に合わせる

 一首目の方言がとても効いています。塾の迎えにきてくれた車に「じいちゃん」が乗っていた夜を描いた連作。二首目の「ドライバー」という言葉がなければ、家族の物語として読み終えるのですが、「ドライバー」について考えてみたくなります。「ドライバー」は「わたし」が「祖父」と呼ぶ人を「おとうさん」と呼びます。すると、「ドライバー」は「わたし」にとっては父か母ということになりますが、「わたし」はそう呼ぶことを拒否し、三首目では「じいちゃん」の手を「わたし」がとって、介護しています。その時「ドライバー」は車庫入れをしていたから、という風に考えてもいいのですが、それを踏まえて考えると、「ドライバー」は「継父(母)」であり、「わたし」はその再婚に反対している、という想像をしたくなります。そうだとしても、家族の話であることに変わりはありません。「軟着陸」というタイトルと合わせて、とても複雑に揺れる「わたし」の心が表されている連作です。

13.「甘い輪郭」砂のような さん

露草の青に染みこむ雨粒に重ねてしまう仄かな日々を
羽衣のような薄手のカーディガンやさしくなぞる梅雨寒の腕
雨の音 ぼぉーぼぉーと鳴っている汽笛みたな薄い輪郭

 とても繊細な感覚で成り立っている連作と読みました。一首目。「露草」という小さな花びらの「青に染み込む雨粒に重ねてしま」えるほど「仄かな日々」だというのです。その繊細で儚ない美しさにハッとします。そのように思える日々とはどのようなものなのか。雨の日に傘をさしかけ蹲り露草に降る雨を見ている、ような日々には、どことなく、淋しさも感じます。露草の青だけでなく、そこに染み込む(輪郭を失っていく?)雨粒に焦点があり、それは落ちたり蒸発したりして消えてしまうものですが、露草の花の青に染み込む間だけを「仄かな日々」に「重ねてしまう」と読み直すと、刹那的で危い感じが強くなります。二首目は「羽衣のような薄手のカーディガン」です。梅雨寒なのでカーディガンを羽織って自らの腕でさすっているところかなと、最初は読んでいたのですが、「カーディガン」を「やさしくなぞる梅雨寒の腕」は、やはり恋人かもしれないと思いなおしました。恋人が登場するして一首目を読み直すと、露草の青い花びらの上に消え入りそうな雨粒が抱かれている情景としてみることができそうです。二首目に戻ります。相手の腕が振れているのがカーディガン越しというところに焦点がある気がします。一首目の「露草」の「青が染み入る」という間接性と響き合うように思います。「羽衣」というと三保の松原の天女伝説も思い起こされ、別れ、消えてしまう、という悲しさを予感しているかのようです。その腕は冷たい(梅雨寒の腕)、というのも気にかかります。三首目は「雨の音」と「ぼぉーぼぉーと鳴っている汽笛」のそれぞれの「輪郭」の「薄さ」が似ている、と言っています。この三首連作は、一首目も二首目も雨が降っていました。雨の音は一粒一粒が地上の何かのぶつかった時の音が合わさったもので「ここからここまでの雨の音」というように輪郭を決めるのは不可能です。汽笛の響きも同様で、どこからどこまで届きどんな形状をしているのか輪郭を定めることはできません。どちらも周縁に向かうにつれて次第に減衰し、消えていくものです。日々の生活も、愛してくれる人も、ここからここまでという輪郭をもたず、だんだんとフェードアウトしていく。それだけであれば物悲しい連作ですが、タイトルは「甘い輪郭」です。「甘い」というのは「きっちりしていない。明確でない」という意味を持ちますが、やはり本来の「甘い」という意味合いも採りたいと思います。輪郭が薄いからこそ、わたしたちは互いに貫入しあい、溶け合い、分かり合うことができるのではないか。存在することは輪郭を持つことですが、その輪郭が曖昧で、だから、いつか消えなければならないけれど、だからこそ、重なり合うこともできる。そんなことを考えさせてくれる連作です。

14.「一つずつ」奈路 侃 さん

二択では生きられなくて病院に行くために乗る東海道線
一つずつ我が身を削るこの日々が我が身を作っているのだとして
命とは何かを問うた生活に振り撒いていくカビ取りスプレー

 一首目。生きていくために無数の選択を繰り返しています。その中には相反する選択を同時に行うような理不尽なものがあったり、単純にAかBかを決めればうまくいくものばかりではありません。そしてこういう問題に直面するのは、たいていは人生のマイナスの転機を迎えるときです。身内の病、介護、死別、本人の病、老化、などなど。二首目。人間はどこかで死ぬので、今日よりも明日は死に近いのは間違いのないことです。しかし、このことが成長の過程でもあることもまた間違いないのです。一定の年齢からは衰えていくばかりだと思えば悲観的になります。できていたことができなくなって情けない、とか考えていても暗くなるばかりです。過去の栄光などにすがりたい気持ちもわかりますが、極論すれば、過去の自分は他人ですから、あまり寄りかからないほうがいい。それも含めて今の自分を作っているのだよ、と言っています。三首目。「命とは何かを問うた生活」とは、「何のための生きているのか」を考える生活だと思います。この「生きている」ということを絶えず忘れないでいられるよう、カビをはやさないよう、「カビ取りスプレーを振り撒いていく」のだ」と。「命とは」、「生きる」ために「生きる」ことだと力強く訴えてくれる連作と読みました。

15.「触」水也 さん

触れていい 硝子のふちをなぞるよう手首の内側をたどるよう
きみの手に触れるゆるしがほしくってサイダーの瓶ゆらして祈る
うたかたのときをたゆたう 触れるにはもう遅くって地面をあるく

 十分に鑑賞できたとは言えないのですが、一首目は「触れていい」という許可されたものがあり、その触れ方は「硝子のふちをなぞるよう」にであり「手首の内側をたどるよう」にであると、言っています。「手首の内側をたどる」ように触れるのは、かなり親密な関係性だと感じられるので、そうすると初句の「触れていい」が、許可なのかどうかも揺らぎます。二首目には触れたいけれど、まだ触れていいという「ゆるし」がない「きみの手」が出てきます。「触れる許し」を得るために「サイダーの瓶ゆらして祈る」のですが、「サイダーの瓶」を手渡すときに偶然「きみの手に触れる」のを期待しているというだけではなさそうで、「サイダーの瓶をゆらす」と栓を開けた時、サイダーが噴き出すので、そのどさくさで手に触れるとか、「サイダー」がかかった「きみの手」を拭いてあげるときに触れようとしているのかもしれません。一首目の「触れていい」とされている物(?)と、二首目の「きみの手」との関係がまだ分かりませんが、「ガラスのふち」と「サイダーの瓶」。「手首の内側」と「きみの手」が呼応していると思います。保留して三首目を読みます。上の句は「時が経った」という修辞であろうと思います。二首目の「サイダー」の泡と「うたかた」は繋がります。「たゆとう」は二首目の「ゆらす」のイメージが引き継がれているとともに、三首目の下の句の「地面を歩く」との対比を成しています。重要なのは、時が経って「触れるにはもう遅」くなってしまって「地面をあるく」というところだと思いますが、ここがきちんと読めていないため、三首連作としてきちんと鑑賞しきれていないのです。三首目の時間経過は、実はさほど長くなく、たとえば、この連作を臨海学校での一コマに設定してみると、三首目の時間には、みんな砂浜から宿舎などに戻っていて、渚の開放的な雰囲気がなくなってしまった、とこじつけることができるかもしれません。(中断)
 一晩おいて、もどってきました。
 一首目は、親や神が、わたしたちに触れることを許しているのだと読み直します。どんなものにでも、「ガラスのふちをなぞるよう」に、そっとやさしく、「手首の内側をたどるよう」に、対象を尊重して、親密に。そうやって世界に触れることを許された存在なのだと。二首目は、第二次性徴の頃、異性に対する興味、性の目覚めなどの変化を受けて、相手に触れたいという想いに焦がれる歌と読みました。そして三首目。やはり読み方は揺れるのですが、成長という流れでよむと、大人社会で他人に「触れる」ことの困難を歌ったもの。あるいは、触れたい相手がいる、という流れで読むと、その相手と離れ離れになって(亡くなってしまった、も含め)、残された自分はこの世界で一人で歩いていくしかない。という歌。
 すごく、長くなってしまいましたが、わたしがこちらの三首連作をどんな風に読んでいるかを、そのまま書いてみました。気になる連作です。

連作内の好きな一首と一言感想(掲載順不同)

のど飴をこっそり舐めるひとだけが解読できる問題がある
茶葉 さん @chaba_tea1 「いつかの昼下がり」三首目

はっきりと断定されているところから、どんな問題なのか考えたくなります。

水たまり無数の波紋浮かび消えほんとのことはわからないまま
梅ふふむ さん @umefufum 「酸性雨に打たれて」一首目

降り注ぐ雨のように入り混じる嘘と本当が世間に広がっては消えていくさまが見えます。

月光が海の広さを照らすからまだ見ぬ花が香りだすから
千井さき さん @chii57577 「月と回遊」二首目

壮大な世界が月明かりに浮かび、知らない花が香り始めるという美しい予感の歌です。

タルトタタン  逆さのままの惑星が引力だけで編まれた記憶
白水もめん さん @momen_2000 「引力の食卓」二首目

魅力的な響きのタルトタタンから始まり、言葉の力で引き込まれます。

ぴったりと合う片割れを持たぬまま割れて崩れてゆく二枚貝
谷まのん さん @tanimanon258x 「残念な海」二首目

かつては対であったはずの二枚貝の片割れに自分を投影する悲しみを感じます。

黙らしたカニに黙らされている笑うニカニカニカニカニカニ
非常口ドット さん @hijyouguchi_dot 「食い道楽」二首目

初句「黙らしたカニ」という把握が凄いと思いました。

愛あれどまた頂に置けぬままらいてうの棲む山を見上げる
笹辺まこと さん @sasanobemakoto 「山動かぬ日」一首目

女性解放運動の観点から皇室典範を批判する意欲作です。

ねぇ聞いて?何かになってみたいのに6月の空みたいになって
真朱 さん @l0vemash 「7月になれない」二首目

短歌定型に落とし込んだ語り口に、その人の全部が詰まっています。

あと一杯のんだら帰ると決めてから誰もグラスに口をつけない
きいろい さん @kiroi_iorik 「のんだら帰る」三首目

解散が名残惜しい楽しい飲み会だったのだろうな、うらやましいです。

流氷を渡れば軽やかな悲鳴アイスコーヒーの上辺をつつく
しみず さん @Itsuki_Mao 「メルトダウンを思い出してる」一首目

何かを始める前の、さまざまな想いがまだちゃんとした形にならないままある、そんな時間です。

Gemini Siri Alexaチャッピーみんな聞いて世界征服やめたくないよ
稲井亮太 さん @3404_g_ 「つまんない最期」三首目

訴えている対象がみんなAIというところに、切実さと滑稽さがあります。

香水がふわりと風に溶け込んで一時停止のボタンを押した
真朱 さん @l0vemash 「きみの溶け込む距離」三首目

その瞬間をとどめておきたい、という焦燥と衝動に、むしろ記録を止めてしまうというジレンマに、共感します。

やめてやれこの子に名前は要らないよあゝほら犬がポチになっちゃう
星乃脚 さん @star_legmb 「哲学騙り」三首目

「固有名」のことは常々考えてしまいます。名付けることで変化する関係性のことなども。

集計の結果不死身になることが既に決まっている俵万智
玄田生 さん @tori_chikushou 「俵万智」二首目

「俵万智」の影響の大きさを完全に言い表した歌だと思います。

私って箱入り娘 姉さんは甘いものを食べるのが速い
空虚 シガイ @36aoRu1Re4K4AbR 「何気なさすぎる」二首目

ごくナチュラルに、上から、わたしと姉を比較する視点で書かれています。

微笑んでもらいたいだけほんとうのナンはこんなにでっかくないぜ
沙々キハム さん @matsuqing 「なんなんなん?」三首目

ほんとうのナンというものを、わたしはまだ知らないのだ、と思います。

正解はまだ出てないか見慣れない顔が並んだダイエット本
非常口ドット さん @hijyouguchi_dot 「ほんのかお」二首目

次々と現れる「ダイエット本」を三十一音で表し尽くしていると思います。

理由なら近くにいるというだけの寂しい君と絡ませる足
おなかいたいの さん @onakaitainoyo 「タラバは高い」三首目

「タラバ」蟹に引き付けて詠んだ歌、というところに凄さを感じます。

結論はないのだろうね俺たちにとって花屋があるということ
一文字零 さん @Re_I_0114 「花屋にて」三首目

結論付けてしまうと、そこから漏れたさまざまなことが失われてしまうのだと思います。

僕たちは踏み潰したアリの数を知らないままで星を数える
いろど(Irod') さん @tankairod 「僕たちは」一首目

寓話として、多くのものを含蓄する対比だと思いました。

おわりに

 今回寄せられた60作品を通読して、「内容を読み取る」のが難しいものが多かったように思います。短歌は「言わないことで言う」型の詩なので、語彙、省略、飛躍、比喩、連想を、読み手が解読する手続きの中で、その歌に没入していくしかありません。

 三首連作では、短歌三首とタイトルの言葉から、作者の世界を再構築していくのですが、生きてきた環境が異なる者の間でやりとりされる暗号だとすれば、解読のコードが合わないということは多々起こりえるので、どうしても曖昧な部分が多くなりますし、解読の結果が作者の世界とはかけ離れてしまうことがほとんどでしょう。

 けれど、わたしはわたしのコードを用いるしかなく、だから「解読不能」な短歌があってもいいのだと思いますし、いつか読みとることができるようになるかもしれない、とも思うのです。読み手に委ねる割合が大きな詩形は、それだからこそ、読み手に嵌れば、自分の根幹となる部位にまで食い込み根付きます。それが特長であり力だと思います。

 と言いつつ、わたしが「好きです」の印をつけるときは、歌の「内容」や「意味」が採れるかどうかは、あまり重要視していません。「好きです」はその都度、瞬時に決まります。おそらく、短歌を形成する言葉の、言語セット(のようなもの)、響き、並びを共時的に把握しているのだと思います。なので、それぞれの感想を書こうとすると、「好きだけど、内容がとれない」ということが起こります。

 わたしはなぜ、その作品が「好き」なのかを言語化する試みが「今月の好きです」だと思っています。

 とても長くなってしまいましたが、今月は以上です。ありがとうございました。

 

選者 宇祖田都子とは

 毎月短歌の深水英一郎さんにお声かけいただいて、毎月短歌34(2026年5月)から「毎月短歌 三首連作部門」の選者を務めている宇祖田都子(うそだみやこ)です。
 わたしは、結社に所属したこともなく、短歌による実績はなにもありませんし、わたし自身の短歌も、全然首が座っていない状態なので、説得力がないのでは? とも思ったのですが、いただいたご縁はなるべく大事にしたいと思っておりますので、お引き受けいたしました。
 ひじょうに偏った「好きです」の迸る内容になると思うのですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

毎月短歌35(2026年6月)三首連作部門 宇祖田都子の「今月の好きです」選

はじめに

 毎月短歌の深水英一郎さんにお声かけいただいて、毎月短歌34(2026年5月)から「毎月短歌 三首連作部門」の選者を務めている宇祖田都子(うそだみやこ)です。

 6月は「第69回「短歌研究新人賞」発表」が話題でしたね。いろいろな報告に触れ、公開された作品を読んで、とても刺激を受けた月でした。

 それでは、宇祖田都子が、寄せられた三首連作の中から、好きな作品を独断と偏見でひたすら紹介する、「今月の好きです」選を始めます。

選出の方法

 作者名を伏せた状態で読んでいき「好きだな」と感じたものに印をつけます。それを、日をおいて三回行い、印の合計数で紹介順を決定します。
 また、三回目に読んだ時、印をつけなかった連作の中から、単独の短歌として好きなものに印をつけ、順不同で紹介します。連作中の一首を単独で採り上げることについては葛藤もあるのですが、好きな短歌として、ご紹介していくことに決めました。

 それでは、今回選出した7作品をご紹介します。

毎月短歌35(2026年6月)三首連作部門
宇祖田都子の「今月の好きです」選

      1. 「この夏へ」茶葉 さん              @chaba_tea1
      2. 「グリン・ピース」きいろい さん    @kiroi_iorik
      3. 「もう一杯」おなかいたいの さん            @onakaitainoyo
      4. 「鳴らないで」はづきもに さん          @moshimoshi_moni
      5. 「クロイツ・ラス」汐留ライス さん   @RCodome
      6. 「色彩」くらたか湖春 さん               @Koharu_kura
      7. 「ああああ」非常口ドット さん        @hijyouguchi_dot

※ 順番は三回の通読後の印の合計数順です

それぞれの三首連作の感想

1.「この夏へ」茶葉 さん

その辺のことはあなたに任せると田んぼが続く畦道をゆく

ひとしきり泣けばお腹が空いてくる朝からずっと何か食べてる

会ったことない人なのに思い出す夏のプールで流されていた

 具体的な説明はありませんが、主人公が、自分の意思や思いではどうしようもない状況に放り込まれ、そこは激流ではなくむしろ静けさがこだまする巨大な夏で、そんな場所にいる自分はあまりにちっぽけで、悲しさも悔しさも諦めも感じられない、受け入れるとか受け入れたくないとかいう選択すら成立しない、圧倒的な無力感。「何をしても無駄だから何もしない」と不貞腐れることすらできない虚無感に満ちた連作だと思いました。この感覚に「抗いようのない夏」そのものを感じました。具体的に何があったのかを推測することはできます。一首目「その辺のことはあなたに任せる」とは、母か、祖母の言葉として。二首目「ひとしきり泣けば」は「朝から」という言葉と合わせて、前日夜に何かショックなことを知らされ、泣き疲れた放心状態で「朝からずっと何か食べてる」状態にあることを。三首目から読み取れる「産みの母」の影。一首目、二首目の控えめな情景描写が、この三首目に濃縮します。ことに下の句「夏のプールで流されていた」の、たゆとう感じ、無抵抗にただ流されている感じ。過去形であることも含めて、「夏」を表現しつくしていると思いました。 

2.「グリン・ピース」きいろい さん

どんぱっぱ 空をしんじてあたし達傘を持たずにやってきました

チリンパリン翻訳すればきえてしまう ともだち 一度あそんだきりの

グリン・ピース!ひとさし指と中指のあいま辺りで息を、している

 初句をオノマトペで統一した楽しい三首連作。と思いきや三首目の「グリン・ピース」は物の名前で、作者の術中に心地よくおちました。五文字を、言葉で表す意味ではなく、その歌を象徴する音(おん)に託すのには決断が必要です。そしてこの三首連作では、五音の言葉の意味よりも豊かな意味を、連作に与えることに成功していると思います。と、ここまで書いて「グリン・ピース(どんぱっぱ)」というじゃんけん遊びがあることを知りました。初句はその時の掛け声なんですね。二首目が「チリンパリン」なので、一首目のじゃんけんは「チョキ」で勝ったということになるのでしょうか。しかし、音の響きと情景(感情)に不思議な統一感があるところが好きです。一首目と二首目は連続する時間。三首目は、少し間が空いたのかもしれません。ピースサインを顎にあてるポーズは「小顔」に見えるポーズ。ここにだけ使われている読点に、息苦しさを読みました。また、二首目の「ともだち」を挟んだ一文字空けに「ともだち」の特別さが読み取れます。初読のとき強く感じたのは「友情」です。それは「友情」と呼べば、本質的な部分が消えてしまうような、全面的で繊細な交流だったのだと思います。今は、そんな関係性がもてない、という淋しさを感じました。

3.「もう一杯」おなかいたいの さん

おつまみが一品付いてワンコインお兄ちゃんにしてあげたかった

アルコール0.00%あと何桁で1が出るのか

人間が注文を取る居酒屋でオススメを聞く 飲みすぎですよ

 暗喩に満ちた三首連作でした。詠まれている情景の背後にある悔恨と怨嗟、とは言いすぎかもしれませんが、二人目の子供の妊娠出産にまつわる事後の居酒屋だと思います。一首目と二首目に繰り返される「1」に対する執着、「1」か「0」への拘り。一首目は、「ワンコイン」でおつまみを一品増やすことができる、という内容で、二首目は、ノンアルコールビールしか飲めなかったころを思い出し、限りなく0%に近い確率のガチャに「1」が出てくるのを期待する、なかば恨みの籠った感情。そして三首目をそのまま読み取れば、「人間が注文を取る」のがもはや珍しくなった時代の「人間が注文を取る居酒屋」でのことなのです。主人公は敢えてこの「人間が注文を取る居酒屋」を選んだのかもしれません。パートナーに会うのは気が進まないが、機械に接客されるのは淋しい、という気持ちで。「飲みすぎですよ」は、欲しかった気遣いの言葉だったのかなと感じます。三首連作であることで深い世界観が生まれた作品だと思います。お名前の「おなかいたいの」が、作品と呼応していて気にかかりました。どうかお大事になさってくださいね。

4.「鳴らないで」はづきもに さん

看取ることしてあげられず母からのcallに「待って」あと、少しだけ

看取ることしてあげられず「ただいま」に「おかえり」がない しずく、溢れて

「ありがとう」 まだ言えてない、ねえ待って 「ごめんね」だって まだ ね、「ただいま」

 この作品は、選読二周目までは無印でしたが、三周目に「ハッ」と思ったのです。三首連作でなければならない意味がこの作品にはある、と。「待って」「ただいま」「おかえり」「ありがとう」「ごめんね」これらの言葉がもつ意味、ドラマ性が、三首連作内に反響し、三首連作の最後にある大きな欠落が読む人にこだまするのです。タイトル「鳴らないで」は一首目の「母からのcall」のことだと思います。一首目と二首目にリフレインする「看取ることしてあげられず」は強い悔恨を表していると思います。臨終に間に合わなかったうしろめたさと、今まで一緒にいてくれたことに対する「ありがとう」も、つらくあたってしまったことや、間に合わなかったことに対する「ごめんね」も言えないまま、「ただいま」に応えてくれた「おかえり」は永遠になくなってしまった。多用される一文字空けには、主人公のとまどいと嗚咽が表れている気がします。そしてラストの「ただいま」のあと、主人公と読者とは、同じ欠落を体感するのです。

5.「クロイツ・ラス」汐留ライス さん

キーボードクラッシュ王におれはなるヤマダ電機で捕まった兄

退屈なパーティーなんか爆破してドリフのコントみたく終わろう

はちゃめちゃな怒りを秘めた人たちを乗せて列車のドアが閉まります

 検索しました。ケニー・オメガさんのプロレス技、であってますか? 他に「片翼の天使」とか「蒼い衝動」とか魅力的な名前の技がでてきて俄然興味がわいてきました。プロレスと怒りとは親和性が高いと思います。「キーボードクラッシュ王」では、興奮してキーボードをたたき壊す少年(キーボードクラッシャー)がいたそうで、プロレスと興奮とクラッシュは親和性が高いと思います。ワンピースの本歌取りも、勢いがあって、「ヤマダ電機で捕まった兄」の意志を継ぐ者としての矜持を感じます。そして二首目。「爆破」といえば、大仁田厚さんの「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」なるものが見つかりました。プロレスです。「ドリフのコントみたく終わろう」となれば、醍醐味は「屋台崩し」でしょうか。なにもかもぶっ壊していく破壊王 橋本真也さんがいらっしゃいます。プロレスラーです。タイトルから、プロレスに寄せて読みたくなる三首連作ですが、これらは現状に満足せず戦い続ける者たちへのエールであり賛歌です。三首連作は、そういう怒りに溢れた人々を乗せた電車の扉がゆっくりと閉まるところで終るのですが、これは、そういう怒りを持った人が終結した、というのではなく、日常の満員電車に乗っているフツウの人々がこういう怒りを秘めているのだ、と、裏返しに示しているのではないかと思うのです。「クロイツ・ラス」は肩車の姿勢から太腿を軽く押し上げて、相手の股間から自分の頭を後ろに抜き、そこから一気にジャーマンスープレックスホールドへもっていく、いわば自分ともども相手を裏返す決め業でもあります。なので、この連作も、最後に裏返して読みたくなりました。

6.「色彩」くらたか湖春 さん

戯言を拾い集めて頷けばガクアジサイのどこまでが花

封蝋は何色だったのだろうか縁どってゆく細い紅筆

あんなにも語尾を揺らして尾ひれへとネオンテトラの赤は溶けだす

 噂、言葉、嘘、秘密。戯言の内に生まれた真実の秘密を守る苦しい嘘に震えてる語尾。比喩の美しさが、現実逃避したい主人公の心理を映し出しているようです、と思いましたが、一首目の「拾い集めて」二首目の「何色だったのだろうか」三首目の「あんなにも」という言葉から、主人公は嘘をついている側ではなく、その嘘を見破りつつある側にいると読みなおしました。「ガクアジサイのどこまでが花」は相手の言葉を全て首肯しながら、「花」と「花以外」を分別し、現実を暴こうと試みているようです。二首目の「封蝋」と「紅筆」の対比は、西洋と和洋、手紙と唇。秘密(封印)と暴露(唇)は少し無理があるかもしれないですが、二項対比で構成され、やはり「嘘」と「真実」の関係性に収斂していくものと思います。そして三首目にいたり、とうとう嘘をついている人を直接観察する状況を迎えます。二首目の化粧はこのためのものだったのかもしれません。ネオンテトラが飼われている喫茶店の水槽越しに、相手を観察している情景を思い浮かべました。感情は語尾に出る、という言葉をきいたことがあるような気がしていて、その震えと泳ぐ魚の尾びれの震えが重なり、さらに「話に尾ひれをつける」「真っ赤な嘘」といった慣用句も重なり合って、主人公の感情を表現する補完をになっていると思います。この三首連作の裏のテーマは「震え」ではないかと感じました。

7.「ああああ」非常口ドット さん

パルプンテ 分かんないって泣いたっておぎゃあのあとは出たとこ勝負

怖くともホイミ、ベホイミ、出会う意味、あなたが居ればゆうしゃになれる

うきうきは続かないけどザラキなき日々を生き抜きちょっと息抜き

 ビデオゲームとは全く縁のない人生でしたが、この三首連作に出て来る呪文は耳にしたことがあります。先ほど2.の感想にも書きましたが、短歌の音数を呪文に費やすことは、やはり決断が必要だと思います。その呪文で感覚を共有でき、同じ音数をついやした別の言葉よりも多くを適切に共感し合うことができる、という確信です。さらに、三首とも押韻が心地く決まっていて、声に出してよみたい短歌になっています。タイトルの「ああああ」というあるあるにくすぐられながら、日常を少しはなれて「息抜き」させてくれる、そんな優しい三首連作だったと思いました。

連作内の好きな一首と一言感想(掲載順不同)

息をする自由を預けるなんてこと君だからだよふたり天国

北乃銀猫さん @Silbernekatze__「K=U+I」三首目

「息をする自由を預ける」という見立てが素敵でした。

喜怒哀楽どれとも違う感情が熱風になる君の夕映え
奈路 侃 さん @osorakukajin 「解脱チャンス」三首目 

「熱風」という新たな、しかし誰もが感じたことのある感情に気づかせてくれました。

きみの目の前にあらわるぼくのこと知らないままでいさせないから
水也 さん @m_iya_o 「透明度」一首目

主人公の強気に、憧れます。

こぼれながら来たから道に花が咲くバックミラーを埋め尽くす赤
ホワイトアスパラ さん @peak_0623 「愛過積載」三首目

鮮烈な光景が浮かびます。タイトルも好きです。

シロナガスクジラの骨格標本を仰ぎ子もまた白き骨持つ
三浦なつ さん @natsumiuraok 「白き骨」三首目

サイズの全く異なる骨の重ね合わせ、母の感じる愛と現実とが、幻想的に美しいです。

咲くべきじゃなかった花が手折っても手折っても咲く 手がべたべただ
裕子さん @yk_san11 「相応」一首目

「手がべたべただ」の結句が好きです。

レシートに印刷されたクーポンを迷わず捨てるひとのルーティン
茶葉 さん @chaba_tea1 「めぐる日々」一首目

取り合わせが好きです。

せっかちなきみとのんびりお茶をする 5月を春に分類すれば
真朱 さん @l0vemash 「中途半端な季節の中途半端なぼくたち」一首目

きみとの関係性が、描かれていないところまで目に浮かびました。

ライナスの髪型というオーダーに美容師が付箋挟むコミック
鶲夏 さん @gardenerpoet93 「ピーナッツの髪って」一首目

実景としてとても味わい深いと思いました。

濃紺の飛び出し絵本端っこに走る姿のひとペラペラの
折戸みおこ さん @_the_goldfish_ 「ハムスターたち滑車を回せ」二首目

二首目というのは実は珍しい気がします。実景を詠んで詩的なところが好きです。

側溝で動けなくなるスッポンがキロ3000円と教えてくれる
稲井亮太 さん @3404_g_ 「カニクリームコロッケ」三首目

この状況がとても好きです。

見たこともないスーパーで見たこともないパンを買い海を目指した
ゆかりごはん さん @iam_yukarigohan 「旅」一首目

「旅」を端的に表し、さらに感情まで透けて見えるところが素敵です。
基本的人軒銀座一号店 自己肯定館銀座本店
えふぇ さん @sonohi_1nichi 「しゃかいとせいかつ」二首目
こちらも二首目です。漢字のみで作られた短歌。銀座という選択。絶妙だと思います。

おわりに

 今回寄せられた52作品を通読して、「言葉の意味」以外で伝える術、というものを活用していくのはおもしろい、と思いました。オノマトペはその一例ですが、「音」の響きが読者に与える感覚に、もっと敏感でありたいと思いました。
 それと、三首連作の射程についても、考えさせられました。実景を詠んだ歌であっても、その実景が生じる背景とプロセスは、全宇宙が関係している、といったら誇大妄想的すぎるのかもしれないですが、短歌という限られた音の中だけで完結する事は決してないのだということに、意識的でありたいなと思います。

それでは、暑い夏がやってきますがお体に気を付けて、短歌がたくさんつくれる夏を過ごしましょう。

宇祖田都子でした。

 

選者 宇祖田都子とは

 毎月短歌の深水英一郎さんにお声かけいただいて、毎月短歌34(2026年5月)から「毎月短歌 三首連作部門」の選者を務めている宇祖田都子(うそだみやこ)です。
 わたしは、結社に所属したこともなく、短歌による実績はなにもありませんし、わたし自身の短歌も、全然首が座っていない状態なので、説得力がないのでは? とも思ったのですが、いただいたご縁はなるべく大事にしたいと思っておりますので、お引き受けいたしました。
 ひじょうに偏った「好きです」の迸る内容になると思うのですが、どうぞよろしくお願いいたします。

歌集『バターロールがまた焦げている』秋山ともす から好きな短歌を

はじめに

文学フリーマーケット 東京42

2026年5月4日 於 東京ビッグサイト 1-4ホール

購入ブース 「秋山ともす」I58

『第一歌集 バターロールがまた焦げている 秋山ともす』

 

好きな短歌と、少しだけ感想を

この夏の最後に句点を打つ役として砂浜に残った浮き輪

サザンオールスターズのバラードの景色が思い浮かびます。人影も疎らな夕方の浜辺。吹き抜ける風には秋が混じり、波光はちょっとにくらしいほどキラキラしているのです。さっきまで打ち寄せる波と鬼ごっこをしていたはずの渚なのに、砂丘から出る階段をほんの数段上ってふと振り向けば「。」が見えて、するととたんに海が、遠くに見えてしまうのでした。それは誰かがつけた句点。だからこそポカンと諦めて受け入れてしまったのかもしれません。

クラッカーを放つ仕草で傘をさす子らに拍手で雨が応える

雨降りの下校風景を想像しました。生徒玄関に均質に並んだ下駄箱ももどかしく、靴を履き替えて飛び出していきたい子供たちですが、今日は雨。庇の下でいったん止まって傘を開かねばなりません。そうしてまた駆け出していくのです。次々と庇の先に一列に空を打ち抜く傘を開いて、その傘を雨が叩くと拍手のように響きます。クラッカーを放つ係は祝う側ですが、子らのしぐさは無意識です。無意識だからこそ「天」に対する祝福のようなしぐさとなり、「天」もまた、そんな子らを祝福するのです。素敵な歌だなと思います。

意味もなく添えられているTシャツの英語みたいな優しさだった

smile とか happy とか。Have a good day とか、デザイン的な理由だけで書いてある英単語や英文。特別なものでも、主張が強いわけでもなく、どう好意的にみても間に合わせ、隙間を埋めるためだけのレディーメード。だけど、ないとさみしいし、なんだか決まらない。「意味もなく」だからある意味で臆面もなくステレオタイプな耳障りのよい言葉をバンと書いてしまえるのでしょう。そんな「優しさ」だというのです。だけど本当は、受けた優しさを、そういう類のものなんだと思わなければマズい、そんな状況があるのではないでしょうか。素直に受け止めてしまったら、ちょっとつらくなるような、そんな感じがしました。「やめてよ、そういうの」って強がらなければいけない雰囲気を感じました。

無果汁のジュースと同じ 優しさがなくても優しい人にはなれる

こちらも「優しさ」についての短歌でした。前のものが63ページで、こちらは66ページと、近くに置かれているのですが、前のが過去形であるのに対して、こらは現在形もしくは意思(未来)を示していることから、前のが相手の優しさだとすれば、こちらのは自分自身の優しさについて自問自答した結果だったのかもしれません。
五・七 で一文字空けになっています。ここまでが直喩の喩える側です。そして次が句跨りの五ー四ー四で「優しさがーなくてもー優しい」そして結句七「人にはなれる」という形式で、喩えられる側を示しています。句跨り最初の「優しさが」で自然に区切ってよんでしまうので、「なくても」の前に休符が入るように感じ、それが詠嘆というか、sighのような効果をもたらしていると感じました。そのものがなくてもそれっぽくはあれるはず、という、諦めを前提とした自信なさげで投げやりな決意ですが、ともかく、優しくなりたいという前向きな歌と読みました。

人生の初級をずっと繰り返すバターロールがまた焦げている

バターロールを自分で作っているのでしょうか。買って来たバターロールをトースターで焼いているのでしょうか。「人生の初級」というところから、わたしは後者と読んでみました。この歌の下の句が歌集全体のタイトルですから、キーとなる歌だと思います。食パンは多少焦げても美味しいですが、バターロールの背中をトースターで焦がしたらもう、その部分は炭ですから、そこだけは毟って食べたい感じになります。また焦がした。全く、ダメだなわたしは。とか言いながら、そういう自分がちょっと好きでもあるような、ほほえましさを感じましたし、もっと向上したい、変わりたい、という意思も垣間見える。それは歌集全体のテーマなのかなと、感じました。

君に捨てられてしまったサボテンに違う名を付け里親になる

「君に捨てられてしまった」のは「サボテン」だけじゃないはず、とまず思います。そして以前、たぶん彼女が気に入ってつけた名前をそのまま使い続けることができないのです。お互い捨てられたもの同士、彼女抜きの新たな関係性の上で、支え合っていこうじゃないか、という失恋ソング的な短歌かなと思います。それを認めたくない未練なんかも含めて、本当に男って、そういうところありますよね。

目指す木に飛び着けなかったムササビのようにマスクが朽ち果てている(されない日々)

ここからは、連作的な小題がついていているので( )に記載しています。
この短歌は、直喩がすごいです。歌集全般を通して、直喩で言い当てる系の短歌が特徴なのだなと感じます。短歌の王道といってもいいのではないでしょうか。
この歌の直喩の凄いなと思ったところは、今現在の状態ではなく、このような状態になった原因「目指す木に跳び着けなかった」に主眼があるところです。重要なのは結句「朽ち果てている」で、これが単に「落ちている」だと、文字通り墜落したムササビみたい、で終わるのですが、マスクそのものは、落下から長い時を経過しているのです。この時間差によって、直喩に時間軸が加味され、一味違う比喩が成立しているのではないかと、暫定的に書いておきたいと思います。

メモを取るわたしの癖をかわいいと言ったあなたは地図から消えた(遠ざかる)

「遠ざかる」というタイトルのついた一連の短歌から、「地図」がカーナビと分かります。そして「メモ」が重要な意味をもっている短歌です。メモは忘れたくないものを書くもの。そのことと「地図から消えた」「あなた」の存在の対比です。「あなた」は「メモを取るわたしの癖をかわいいと言った」のでしたが、今、「あなた」は「わたし」の「メモ」の中にしかいなくなってしまいました。「かわいい」という感情には主従があって、「あなた」は「わたし」を上からみているから「かわいい」と評したのだと思います。わたし宇祖田もメモはよくとる方なので、メモを取ることを「かわいい」で済まされてはたまらない、という想いもくすぶっています。わりと、強迫観念めいたところも、あったりするのです。忘れたくない、残したい、覚えておきたい、という隠れた情念を「かわいい」だけで、と。
「わたし」のことが重たくなったのか、つまらなくなってしまったのか。ラストの「消えた」という言葉から、自然消滅的な経緯、または「あなた」の方が一方的に冷めていってしまった様子が感じ取れます。さみしい歌だなと思いますが、別れるのが正解よ、とも思ったり。

傷口に昨日とおなじ服を着せ道玄坂がひどくまぶしい(ひどくまぶしい)

幸せな朝ではないと感じます。「昨日と同じ服」で「道玄坂」なので、家に帰らないで渋谷に居続ける子供たちを思ったりもします。日々傷ついて、ホテルで一夜を過ごしても癒されることはなく、言えない傷を隠して渋谷で生きていく。結句の「ひどくまぶしい」は『異邦人』の「太陽が黄色かったから」ともとれるし、太陽の光としての希望ともとれます。ズタボロだけど、今日もまた太陽の下で生きていくんだという、後者だといいなと思います。

わたしには懐かなかったTシャツが実家の母と年老いていく(大輪)

擬人化されたTシャツ。似合わないのか、着心地なのか、生地やデザインの微妙な何かのせいで、タンスにしまったままになる服ってあります。それを「懐かなかった」と擬人化することで、優しさと、Tシャツの第二の人生、というものが見えてきて、下の句に深みを与えていると思います。子供のおさがりを着続ける母、という性格描写もとても理解しやすく、これはTシャツの歌ではなく母の歌なのだと思います。

キス &クライのように週末の天気予報を眺めるふたり(傘がほしい)

この直喩もすごいと思いました。週末に待ち受けている何事かの重要性が伝わってきます。これは、それほど真剣な緊張感の中、天気予報を見ている二人きりの部屋にあって、第三者視点で作られた歌です。たとえば画面が一瞬暗くなって、並んだ二人が映り込んだ瞬間、あ、この感じ、という気づきかもしれません。創作する人は、どんなときでもこういう客観的な視点をもっているのだと思いました。

路地裏の第一発見者になって仔猫に夏の名前をつける(夏の名前)

「路地裏」で「仔猫」を見つけて「夏の名前をつけ」た。という状況がまずは浮かびますが、拾って帰って家で飼っている、という感じはしません。よく読むと、上の句と下の句は、つながりにくいのです。「路地裏の第一発見者になって」に「仔猫」は出てきませんし、「仔猫に夏の名前をつける」に「路地裏」は出てきません。「路地裏」に「仔猫」がいた。という確証は、この短歌からは得られませんし、「路地裏」を見つけた記念として「仔猫に夏の名前をつけた」としても、「路地裏」との関連を示す名前にはならないだろうからです。
この章のタイトル「夏の名前」を読み通しても、猫はこの一首目にしか出てきません。これは、シュールな歌だととらえ直します。シュールとは脈絡がつかないことを、なんの事件性もなくシームレスにつなげてしまうことと仮定するなら、「路地裏を見つけたから猫に夏の名前をつけよう」とか、上の句の「なって」が意思・希望を示す未来形とすれば「まだみぬ路地裏を誰よりも早く発見して、仔猫の命名権を獲得したら夏の名前をつけるぞ」と読むことも可能ですが、そのチャレンジの主催者が謎です。そもそも「夏の名前」って漠然としています。どんな名前なんだろう。など、限りなく想像が膨らんでいくところが、好きな歌として挙げた理由なのでした。

おわりに

日常を逸脱することのない言葉たちと、その範疇で見出される直喩の饒舌さが、日常世界の可能性を拡張していく、心地よい歌集だと感じました。まさに、歌人の生活を記録した日誌だと思います。世界は多様です。それは享受するものではなく、感受するものなのだと思いました。

毎月短歌34(2026年5月)三首連作部門 宇祖田都子選「今月の好きです」

はじめに

 毎月短歌の深水英一郎さんにお声かけいただいて、今回から「毎月短歌 三首連作部門」の選者を務めます宇祖田都子(うそだみやこ)です。
 わたしは、結社に所属したこともなく、短歌による実績はなにもありませんし、わたし自身の短歌も、全然首が座っていない状態なので、説得力がないのでは? とも思ったのですが、いただいたご縁はなるべく大事にしたいと思っておりますので、お引き受けいたしました。
 ひじょうに偏った「好きです」の迸る内容になると思うのですが、どうぞよろしくお願いいたします。

選出の方法

 作者名を伏せた状態で読んでいき「好きだな」と感じたものに印をつけます。それを、日をおいて三回行った際の、印の数で決定しています。
 また、三回目に読んだ時に、単独の短歌として好きなものにも印をつけます。連作中の一首を単独で採り上げることについては葛藤もあるのですが、好きな短歌として、ご紹介していくことに決めました。
 それでは、今回選出した9作品をご紹介します。

毎月短歌34(2026年5月)三首連作部門
宇祖田都子の「今月の好きです」選

      1. 「休日出勤」あをい さん          @awoi_up20
      2. 「郷愁」あをい さん          @awoi_up20
      3. 「毒毒メイルストロム」汐留ライス さん @RCodome
      4. 「タモリは面白い」汐留ライス さん   @RCodome
      5. 「ノンヴァーバル」きいろい さん    @kiroi_iorik
      6. 「夏の通り雨」茶葉 さん        @chaba_tea1
      7. 「始末のよい」くらたか湖春 さん    @Koharu_kura
      8. 「マザーズウェポン」水川怜 さん    @mizukawa_rei
      9. 「世界を支配するように咲く」真朱 さん @l0vemash

※ 順番は三回の通読時の印の数で並べていますが、順位というわけではありません

それぞれの三首連作の感想

1.「休日出勤」あをい さん

花束の茎を斜めに切り揃え今年も憲法記念日が来る
はなまるをたっぷり綴る もう初夏の風が職員室に佇む
自由って少し淋しい 試飲では美味しく感じていたレモンティー
 一首目の、さまざまな花の根元をスッパリ斜めに切りそろえた断面の瑞々しさ、生々しさ、ある種の強制力が鮮烈なイメージを結び、「花束」「はなまる」そして、「レモンティー」が自然とつながりました。「休日出勤」の一日を時系列で詠んだ連作ととらえ、「憲法記念日」というゴールデンウィークの真っただ中の出勤の気分で読んでいきます。さらに「憲法記念日」という選択が、連作全体の重心を下げることとなり、三首目の「自由」に「フリー」より「責任」の意味合いが強くなります。それと「レモンティー」の味が「試飲」のときと購入後とで変わってしまったように感じることとを並列して「少し淋しい」と結ぶ、まとまりのある三首連作です。

2.「郷愁」あをい さん

ベランダで大三角を眺めつつごまかしている郷愁がある
自由って少し淋しい 試飲では美味しく感じていたレモンティー
にんにくは多めにいれる ふるさとの匂いを思い出さないために
タイトル「郷愁」を比較的ストレートに詠んだ三首だと感じました。ふるさとからも見えていた(夏の?)大三角形を缶ビールでも飲みながら「今は、天体観測をしているのであって、ふるさとを懐かしんでいるのではない」と自分を無理やり抑えている様子が読み取れます。このごまかしきれない感じは、二首目以降強くなっていき、三首目の「思い出さないために」という言葉で締めくくられます。故郷を離れて強くありたいという本人の気持ちと、そうありたいと思わなければくじけそうになる淋しさを効果的に配した三首連作です。

3.「毒毒メイルストロム」汐留ライス さん

春の夜のぬるく微睡むつれづれに毒の電波は脳に至れり
毒電波受けし脳にてうごめくは真白き鳥の姿に似たり
狂鳥の啼きゐる声は渦となりものぐるほしく響(とよ)むテケリ・リ

テケリ・リを調べました。 テケリ・リ (てけりり)とは【ピクシブ百科事典】 文語の採用が神話的世界における不穏さとあいまって効果的だと思いました。わたしは筋肉少女帯が好きなので毒電波もとても好きです。この連作は脳内で完結しているように読めますが、三首目の、恐怖の接近を意味する「テケリ・リ」の尋常でない「啼きゐる声」の「響み」から、現実へ越境してくる何ものかの訪れを示唆しているようです。その声で夜飛び起きることがあるかもしれないと感じさせる余韻のある連作です。

4.「タモリは面白い」汐留ライス さん

甲子園土を集める球児らと土から徐々に出てくるタモリ
呪われたビデオテープの途中からタモリ倶楽部が録画されてる
ハーレーがかっこよすぎてサイドカーに乗ったタモリを誰も見てない
タモリの面白さを記した三首からなる連作。実際にこうしたことがあったはずはないのですが、自らは主役にならず、けっして目立たず、場違いな場所にも自然に溶け込む、その自然さが笑いになるという特色を引き出したシチュエーションばかりだと感じました。そこにタモリがいるだけで何かウキウキしてくる感じ。一首目にギリギリ想像可能なシュールな場面を置くことで、二首目以降がよりリアルに感じられます。二首目は、ビデオテープ世代の方にとっては共感できる内容だと思いますし、最後にブラウン管から出て来るのが貞子のコスプレをしたタモリかも、などと想像がかきたてられます。三首目はタモリの存在についての的確な評論になっているのではないかと思います。

5.「ノンヴァーバル」きいろい さん

いないいないいないいらないばあしないあなたのいないせかいがきらい
こんなにもひかりは満ちていてだけどあなたがうまく組み上がらない
ノンヴァーバル あなたのかたちをしたものに抱きしめられて眠るしあわせ
【ノンヴァーバル】を調べたら『非言語』 とありました。喃語期の幼子が感じている世界とも読めますが、言葉によらない交流を渇望する、と考えると年代を問わず、この連作にある感覚は身に染みます。一首目、「いないいないばあ」が「無」と「有」とを繰り返し経験させるものであるなら、それは「無」から「有」の喜びの追認であるよりもむしろ、「有」から「無」を認識させる残酷さではないかと考えました。二首目にある「ひかり」もまた、「有」の世界を照らすものではなく「有」を「無」へ昇華させてしまう白く明るすぎるものに感じられます。「有」とは影に他ならないのですから。そして三首目の初句に「ノンヴァーバル」の詠嘆があります。ここに至って、一首目の「闇」と二首目の「光」という双方の「無」を乗り越えた「しあわせ」が歌われています。新約聖書『ヨハネによる福音書』は「はじめにことばがあった」から始まると記憶していますが、この連作の「あなた」を「神」と読み取ることはしません。言葉によって始まった世界で、非言語の交流を求めてしまう人間のわたしたちの本質とは何かを、考えさせられる連作です。

6.「夏の通り雨」茶葉 さん

見えるもの見えないものを選り分けてふっくらとした夢ばかりみる
想像を軽々超えるお手本をなくした夏の書道教室
雨はまだ止まないけれどなるほどと思う、あなたの声が聞こえる
とても観念的な世界を表現した連作だと思っていました。そのなかで二首目の現実感が逆に浮かび上がってきて、舞台は「夏の書道教室」かなと読んでみます。すると三首目がつながって夏の書道教室で通り雨が止むまで待っている、という景が浮かびますが、この景色に先立って一首目があり、この一首目は連作全体を包み込んでいると感じます。一首目は主人公の性格で、上の句では現実的な側面を下の句では夢見がちな側面を現しているようです。そこから二首目を読むと、書道教室という目に見える現実的な決まり事がたくさんある場面で、お手本というもっとも大きな決まり事が失われていて見えないという状況が示されており、三首目では「雨はまだ止まない」という目に見える現実と「あなたの声が聞こえる」という目に見えない「声」とが対比されていると考えます。「見えるもの」と「見えないもの」をきちんと選り分けた上で「ふっくらとした夢ばかり見る」主人公にとって、「想像を軽々超える」「夏の書道教室」で、「見えないもの」としてもたらされた「あなたの声」に「なるほど」と思ったという起承転結をつけたとき、「あなた」に恋をしている自分に気づいた、という読みが生まれ、わたしはそんな風に感じました。

7.「始末のよい」くらたか湖春 さん

逆さまで生かしておこう空洞を持て余すまでこうしてなさい
どこに刃を当ててほしいの利き手とは反対の手をどこに添えよう
このへんが切りやすそうね 大丈夫 ちゃんと残さずすくってあげる
鮟鱇。と思いました。その上で、一首目の「逆さまでいかしておこう」について調べてみると下北半島では生きたまま流通させることがあるという記載が見つかりました。二首目も、吊るし切りの難しさと読み取れますし、三首目の「すくってあげる」も水気の多い独特な鮟鱇の特徴のように読めるのですが。が、です。その上で、これらは何かを暗喩しているのではないかという不穏な感じが拭えません。要因の一つはモノローグであること。この語り口から逆に、相手側には意思があるのにもかかわらずさるぐつわでもされているのではないかという疑念の余地が生じます。そう考えると、二首目がきわだって不気味に感じられるのです。「利き手とは反対の手をどこに添えよう」は、相手は声だけでなく体も完全に拘束されていることが強調される気がするのです。そもそも一首目で逆さ吊りにされた状態であることは明らかなのですが、この状況で自分が怪我をしない方法を探りながら、という素人感と、肝の据わった感じのギャップに、サイコパス的恐怖感が増幅しました。今ではこのタイトル、こわいです。

8.「マザーズウェポン」水川怜 さん

使用済おむつを手榴弾として装備しているマザーズバッグ 
「アンパンマンみたいなうんち」と二歳児の直喩を聞いておむつを換える 
三歳はわが手を産屋の荒縄のように掴んでトイレで気張る
この連作は、三回目に読んだ時に印がつきました。母親の日常を明晰に写生した連作だと思いました。幼い子供を連れたお母さんを見かけるたびに、たいへんそうだな、と思います。わたしは子供がいないので実感することができず、こうした作品を通して追体験するしかないのですが、一首目の「手榴弾」という認識の仕方、「二歳の直喩」と冷静にきいて対応するところ、そして三首目の(あ、二歳と三歳のお二人のお子様がいることも、ここで分かります)三歳の子のトイレでの描写は圧巻と感じました。「産屋の荒縄」という比喩の迫力とリアルさが、連作全体を引き締めています。

9. 「世界を支配するように咲く」真朱 さん

誘われて(めざましテレビの占いの「良いこと」ですね?)OKをする
春物のワンピを出して待つ長い長い長い長い平日
もう好きを隠しきれないネモフィラは世界を支配するように咲く
朝の占いを信じた主人公が、お出かけする週末を待ち焦がれる長い平日と、お出かけ先で、世界を埋め尽くすかのごとく咲くネモフィラと、自分の「好き」の気持ちが重なり合うまでのドキドキする一週間を凝縮した連作と読みました。一首目の丸カッコの使い方がとても効果的です。そして一度「好き」と気づいたが最後、その気持ちはネモフィラのように強い繁殖力で心や体に広がっていきます。ところで、ネモフィラを検索してみたら「打たれ弱い」という記述をみつけました。どうやら根が弱いのだそうで、踏まれたり傷つけられたりするとすぐ枯れてしまうし、移植も難しいとのこと。このような特徴も踏まえて、本当にぴったりの喩えだと、改めて感心した次第です。春という季節も心情にマッチしていると思います。とりわけ二首目の言葉の選定と語順が、とてもよくはまっているなと思いました。

連作内の好きな一首と一言感想(掲載順不同)

抜け落ちた子音は溶けて手元では u iの音だけ仄かに光る

あきの つきさん @_akino_tsuki_「crescere」三首目

tuki umi そして suki の子音u  i とても美しいです。

桜には一瞥くれて海へ行く 風がわずかに湿度をはらむ
奈路 侃 さん @osorakukajin 「これから」一首目 

花嵐の予感に満ちています。

本当に逃げたい人に本当に逃げたいですかと尋ねる仕事
玄田生 さん @tori_chikushou 「さみしい」一首目

やるせなさがあふれてきます。

わたしよりあとに生まれてきたひとがやさしいほしに住めますように
きいろい さん @kiroi_iorik 「ついてない」三首目

自己犠牲のあきらめのなかにあって希望をつなごうという祈りの尊さ。

脇肉よ背中の肉よ腹肉よ集えや集えおっぱいになれ
藤原毛布 さん @moufu412 「としをとる」二首目

語り口と主張の勢に多くの心情が込められています。

雨の日もプラムひでおは軒下で紙芝居屋をやっております
白雨冬子さん @hakootokobook 「プラムひでお」一首目

プラムひでお という人に興味が湧いてきます。

解放の光によって散ってゆく桜をイヤな過去にはしない
空虚 シガイ さん @36aoRu1Re4K4AbR「花酔い」三首目

桜について、下の句のような視点を押し出した歌は新鮮でした。

胸覆う布地を剥がしおんなから少女に戻る四月の鎖
砂のような さん @12Uum6TUwy16431「四月の鎖」二首目

「四月の鎖」というタイトルも好きですし「おんなから少女に戻る」という観点も新鮮でした。

当面はあしたが来ると思ってるカラシばかりが増える納豆
みぎひと さん @okanocoelacanth 「納豆和え」三首目

納豆に着眼して恒常性バイアスを示している点が興味深かったです。

畑から自宅に入るときに脱ぐ靴の左右のバランスを見る
田中教平 さん @Tananakyon04 「畑から帰る」一首目

みんなが動作の流れのなかで気に留めずにやっている瞬間を切り取る視点を見習いたいです。

もうすべて忘れた頃に来た手紙知ってる文字で知らない住所
北乃銀猫 さん @Silbernekatze_ 「封」一首目

「知ってる文字で知らない住所」という表現はエレガントだと思いました。

おわりに

寄せられた64作品を通読して、改めて「三首連作」という構成が、いかに逃げのないものかを感じました。たとえば、三首のうちの二首がよいな、と思っても残りの一首で「紋切り型」に落ち着いてしまい、連作としての広がりが失われてしまったり、広がりをもたせようと多用な歌を並べた結果収斂させることができなかったり。そんな中で選んだ9作品は、いずれも三首で広がりや深みを現していたと感じました。

 それでは、こんな調子で、続けていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。宇祖田都子でした。

短歌連作「ぼんやりしてた」の作り方を推敲前の状態から考えてみた

はじめに

「毎月短歌33連作部部門」において、斎藤君さんと、村崎残滓さんが高く評価して下さった連作「ぼんやりしてた」の投稿作品と、推敲前の状態を記し、どこを、どう、なぜ直したのか、を顕在化してみたいと思いました。なぜならば、私自身、どうやってこの連作を作ったのか分からないからです。選評で評価されたところと、改善指摘点をまとめ、そこから逆に、なぜそのようになったのかを検証してみたいと思います。

連作「ぼんやりしてた」

投稿作

「ぼんやりしてた」宇祖田都子

    三月の動物園で麻酔から醒めないこともあると言われた

    仰向けに浅く沈んだ浴槽が目玉になって全部が揺れる

    まなうらにどこか遠くの窓際を泳ぐ金魚の淡き色陰

    何色が好きかと訊かれ目の前の錆びたトタンの色を答えた

    引っ張って部屋の電気を消す紐が目覚めた時にまだ揺れていた

「ぼんやりしてた」の検証点(選評より)

良かった点

取り合わせ、見立て、着地の仕方など、高水準にまとまった作品だと思いました。(斎藤君さん選より)

一首目の惹きつける魅力がとても強く、(斎藤君さん選より)

二首目以降の歌の立ち方も良い(斎藤君さん選より)

タイトルのとぼけた感じも決まっている(斎藤君さん選より)

一首目は、「三月の動物園」と「麻酔から醒めない」という取り合わせがとても見事(村崎残滓さん選より)

二、三首目では水のイメージ、三、四首目では色彩のイメージを連続させることで、連作に心地良い「流れ」が生まれています。(村崎残滓さん選より)

五首目では「まだ」という二文字を使うことで、(中略)主体の生々しい違和感が感じられて、作品が綺麗に締まっています。(村崎残滓さん選より)

ここまでの出来事をあとから振り返ると「ぼんやりしてた」としか言いようがないのだろう、というのも非常に納得感があります。(村崎残滓さん選より)

気になる点として

「~した」で終わる歌が五首のうち三首、「揺れる/揺れていた」と同じ動詞で終わる歌が二首あった(斎藤君さん選より)

二首目と五首目が「揺れる」というイメージの重複。もっと長い連作ならば気にならないかもしれないが、五首という短い連作では、変えられるならば変えたほうがよい。(村崎残滓さんのスペースでの指摘)

「ぼんやりしてた」の作り方

上記の選評について、自分なりに、なぜそうなっているのか考えてみました。

① 一首ずつの独立度が高い

毎月短歌の連作部門へは、その月に作った短歌を一覧し、連作になりそうな短歌を抜き出すところから始めます。つまり、それぞれの短歌は作った時点では、連作にすることを全く考えていないことから、一首ずつの独立度が高くなるのだと思います。

②二首目以降の立ち方、流れがよい

連作になりそうかどうかの判断は、短歌が表している内容の近さで判断しています。「ぼんやりしてた」に関しては、「虚を突かれた瞬間・不鮮明さ。不確かさ。白昼夢みたいな感じ」でまとめています。このように選んだ際の、それぞれの短歌の原型はこのようなものでした。

推敲前の連作(六首)

三月の動物園で「ちょっと」って呼びとめられたような気がした
引っ張って部屋の電気を消す紐が目覚めた時にまだ揺れていた
仰向けに浅く沈んだ浴槽が眼球になり全てはゆらぐ
何色が好きと訊かれて本当はトタンの壁の錆び色が好き
まなうらにどこか遠くの窓際を泳ぐ金魚の淡き色影
麻酔から醒めないこともありますという声だけを手掛かりにして

連作用に推敲する

一首目・六首目

推敲前一首目は、推敲前六首目と合体させました。推敲前の一首目はさりげなさ過ぎると感じたからです。六首目とは「声を聞く」つながりがあり、動物園で麻酔の話は違和感もないと思いました。このように直すと初句にしか置き場所がないと感じました。

二首目

推敲前は、手術の麻酔のあわいの現実の記憶と妄想とが交錯する時間軸を想定していたので、二首目に比較的現実味のある「電気を消す紐」を、あまり重篤でない状況を示す意味で置いていましたが、推敲一首目に、推敲前六首目の「麻酔」を使ってしまったので、この「白日夢」的状況を抜ける状況を現す短歌が、この「電気を消す紐」しかなくなりましたので、これを五首目に移動します。

三首目

そのままで推敲後二首目に繰り上がります。

四首目・五首目

この順番は、推敲前と投稿作とで、「金魚」と「トタンの色」を入れ替えています。理由は多分、二首目で、眼球が浴槽の水面、という非現実なものに取って代わられているので、その目で見た幻想的な景につないだほうがよいと考えたからだったと思います。色鮮やかな金魚の幻影が、ゆらぐ でつながるという気もしました。

五首目

「トタンの色」の歌は推敲しています。推敲前は「本当はトタンの壁の錆び色が好き」という「言えなかった」歌でしたが、推敲後ははっきりと「目の前の錆びたトタンの色を答えた」という歌にしています。推敲後の三首目が幻想的なので、四首目はリアルさを重視し、それでいて「目の前の錆びたトタン」という状況の奇妙さは残して、リアルな夢、みたいな効果が出ればと考えたのかもしれませんし、単純に単独の短歌としての弱さを補完したかったのかもしれません。

流れと重複

連作になりそうな短歌を選んだあとで、連作の組む際の順番は、「時系列」の場合と「共時的」の場合に大別しています。「時系列」は比較的並べやすく、時計的な時間だったり、家を出て帰ってくるまでだったり、成長だったりです。「共時的」の方は、布石を打つように、点を置いて行って全体的な図を示すような置き方です。前者は「将棋的」後者は「囲碁的」などとわたしは呼んだりしています。「囲碁的」に組む場合は、あらかじめ「図」を決めてから連作用の短歌を作り始めるのは、おもしろくないと思っています。汲み上がったあとで、おもいもよらない「図」が現れるのを期待しているのです。そういう意味で、テーマを決めて連作を作るのは苦手です。

イメージの重複についても、あらかじめ連作を想定してないことから派生します。推敲段階で弾くなり、入れ替えるなりしていくべきでした。

今回の「揺れる」はそれだけでテーマになりそうな景ではあるので、そういう点で、テーマの重複だったという反省があります。「もっと長い連作なら」という指摘に納得しました。短いからこそ、テーマは絞るべきでした。

タイトルについて

上記のような作り方なので、タイトルは最後に決めています。当初の「虚を突かれた瞬間・不鮮明さ。不確かさ。白昼夢みたいな感じ」を、端的に表す言葉を探しました。なので村崎残滓さんと斎藤君さんの評はとてもうれしかったです。

読み手側としては、まず「タイトル」があり、その「タイトル」を携えてそれぞれの短歌を順番に読んでいくと思います。そして、再び「タイトル」に立ち返ったとき、始めの印象とどれだけ違って感じるか、を重視したいなと思います。それは、「納得」でもいいし「意外性」でもいい。そしてできればその新たな「タイトル」の感じで、もう一度連作を読んだとき、新たな発見があれば、なんて思います。

語尾など

わたしは叙景が好きなので、体言止めや、~見ていた。~していた。など「た」止めが多くなりがちです。文語なら選択肢も広がるのですが、口語となるとかなり悩ましいです。連作でいちばん避けたいのは「単調さ」だと思うので、定型・否定形・破調・文字明け、カギカッコや句読点、固有名詞、分かち書き、体言止め、連用句止め、などを効果的に散りばめつつ、飽きさせないように構成しなければと思う一方、延々と定型「た」止めに終始しながら、最後まで読ませる強さに対する野望をもっていたりもします。勉強していきたいです。

いただいた選評

 選評 斎藤君さん

 

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一席

宇祖田都子「ぼんやりしてた」

取り合わせ、見立て、着地の仕方など、高水準にまとまった作品だと思いました。一首目の惹きつける魅力がとても強く、二首目以降の歌の立ち方も良いです。それでいてタイトルのとぼけた感じも決まっていると思いました。「~した」で終わる歌が五首のうち三首、「揺れる/揺れていた」と同じ動詞で終わる歌が二首あったのですが、一首一首の完成度がそれを凌駕していました。

 

選評 村崎残滓さん

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金賞(1作品)宇祖田都子

まとまらない思索のただなかにいる主体が、空想から現実に引き戻されるまでの短い時間を詠った連作として読みました。静かな衝撃を詠んだ一首目は、「三月の動物園」と「麻酔から醒めない」という取り合わせがとても見事で、作品への興味を掻き立てる役割をしっかりと果たしてくれています。二、三首目では水のイメージ、三、四首目では色彩のイメージを連続させることで、連作に心地良い「流れ」が生まれています。五首目では「まだ」という二文字を使うことで、夢を見ることもなく気がついたら朝を迎えていたときのような、主体の生々しい違和感が感じられて、作品が綺麗に締まっています。ここまでの出来事をあとから振り返ると「ぼんやりしてた」としか言いようがないのだろう、というのも非常に納得感があります。
一首一首にしっかりとした力強さがあり、読者が流れるように読み進めることができ、その脳裏に自然と一つのテーマを浮かび上がらせることができていれば、それは連作としてかなり完成されているのだと思います。この作品はまさに完成された作品の一つといえるのではないでしょうか。そろそろ選者代わってください……

おわりに

方法論の全てを顕在化することはできないですし、顕在化できる部分だけがすべてだとは思っていません。だから、「論」として文章化したせいで、見失われてしまうものがあるのではないかという恐れもあります。

とはいえ、IまたはSというブラックボックスを侵さない、などというオカルトは否定します

わたしの作歌は、首が座っておらず、できばえにとてもムラがあるため、なんとか水準を保てるようになりたいという欲があります。一方で、やり方はやりながらその都度作っていくものだという気もしています。

チェックリスト化や、フローチャート化できる部分は、そうすればいいと考えます。けれど、わたしは、短歌を作っている「今」「この時」「この瞬間」の宇宙的身体的事象全てに影響を受けながら、歌を作りたいとも思っていますし、そのようにしか作れないのだと感じています。だから、一回一回、初めから苦労して作るのは嫌ではありません。ただ、本当に一回一回、無の状態から始められるのであればです。というのは、続けていれば慣れが出て来るでしょうし、手癖もできる。思考経路も限定されてくると思うから。

短歌を一首作るたび、自分は変わっていきます。それは短歌に限定しません。俳句でも詩でも小説でも、日記でも、とにかくコミュニケーションとは自己破壊に他ならない、という中沢新一の言葉をわたしは実感しています。

ただ、そのように変わっていくことに抵抗する恒常性というものが、マンネリを呼ぶと思うのです。

だから、方法論とは、このようなマンネリに陥らないためのものなのだと、考えます。

今回のブログは、「ぼんやりしてた」がいかに「ぼんやりしてた」のかを確認する、わたし自身の忘備録です、いつだって、わたしはわたしの忘備録なんですけれど。

 

最後になりましたが、「毎月短歌」をいう場を用意してくださった深水英一郎さん、選者を務めていらっしゃる皆様に、感謝いたします。

 

長文、失礼いたしました。それでは。

歌集『遠距離チャーハン』白石ポピー から好きな短歌を

はじめに

文学フリーマーケット 東京42

2026年5月4日 於 東京ビッグサイト 1-4ホール

購入ブース 「おのぎとポピーのこのくらい」X25-26

 

好きな短歌と、少しだけ感想を

第一部「遠距離チャーハン」

地方創生

マチュピチュとミシシッピ川があいしあいマチュチュッピ川がうまれました

まず、楽しい。それから、「マチュピチュ」と「ミシシッピ」を合成する音韻感覚の鋭さに気づきます。「マチュチュッピ」という合成語は、「ミシシッピ」の構造に「マチュピチュ」を当てはめたものだということは分かります。「ミシシッピ」の構造とは、「ミ」「シ」「シ」「ッ」「ピ」という、二音目と三音目の重複とその三音目が促音であること。さらにすべての子音が「i」であることです。子音の「i」の適用は難しいですが、「マ」「チュ」「ピ」「チュ」を当てはめると、「マチュチュッピ(チュ)」を得ることができます。「ピ」で締めることができることはとても重要なことです。
では「マチュピチュ」の構造を「ミシシッピ」に当てはめたらどうなるのか、しばらく考えてみたのですが、「ミシピチュ」「ミシシピチュ」「ミシュシピュチュ」とか、うまくいきません。実にさまざまな条件をクリアし自然に正解を導き出せる語感をもちたいと思いました。

私にも口内炎を見せてくれた井出くんの像が駅前に建つ

「私にも」「口内炎を見せてくれた」「井出くん」という提示で「井出くん」の人となりだけでなく、「私」と「井出くん」の関係、「私」の置かれている立場の全てを想像できる材料を網羅しています。さらに小学生の頃の経験なのだろうと推測する余地もあります。そういう「井出くん」であれば「像が駅前に建つ」ような立派な人になるのは意外ではない、けれども、あの「井出くん」がねぇ、という身近だった人が遠くなるさみしさ、少しの嫉妬心なども感じられ、二人の歴史を、夕暮れ間近の駅前ロータリーで駆け抜けたような想いがします。

ゴダール論

人前で放尿をする簡単な仕事です。ただタダになります。

エロスでしょうか? することは「簡単」ですが、精神的に人としての何かを越えなければならない行為である気がします。見返りは「ただタダにな」るだけ。何がタダになるのかが書かれていないところが効いていると思います。いや、もしかしたら、「人前で放尿をする簡単な仕事です。」が、「ただ」(報酬は)「タダになります。」とも読めます。そうすると、ボランティアということになります。書いてあることは全て理解でき、書かれるべき何が書かれていないのかも明確であるという点で、とても分かりやすく、調子も明るい文言なのですが、引きずり込まれそうな底知れぬ闇を感じます。昔、どこかで読んだ漫画のエピソードで、女性が無料で飲食できるレストランがあるのですが、店中に鏡があり、それがマジックミラーになっていて、飲食をする女性を凝視したい性癖の男性が料金を支払っている、というのですが、果たして。

ていねいなくらし2

恋人がヘレン・ケラーの"WATER!"のように耳鼻科で「デジャブ!」と叫ぶ

とても勢いがあっておもしろい歌だと思いました。上の句の直喩の生々しさ(あれ、だけどヘレン・ケラーの"WATER"をどこでわたしは見ていただろう?)「耳鼻科」で「デジャブ!!」の取り合わせの心地よさ。音数を度外視して考えると、眼下やレントゲン科では、近すぎる。外科や消化器科では生々しすぎる。歯医者では口をあいていて叫べない。だから「耳鼻科」しかない、と思えてくるところ。診察中、鼻に空気を送り込むブロアのような器具を使われたとき、こらえきれずに洩れた音が扉越しに「デジャブ!」と聞こえたのかもしれませんが、これはもう、言葉通りの「デジャブ!!」がおもしろいです。これはもう、声に出して叫びたい短歌です。

箸置きといえばなんでも箸置きといえる気がして見る君の指

箸置き。日本の食文化の豊かさを示す品だと思います。箸先を卓から少し浮かせおきさらに転がらないようにする機能を満たせば、どのような素材でも形状でもOK.紙、木製、陶器、金属と、幅広く活用できますし、デザインの自由度も高いです。食事中、ふと箸置きに目を止めて、箸置きの形状の自由度に気づき「なんでも箸置きといえる」という想いと、前に座っている「君」の、卓上に置かれた指がオーバーラップして、箸置きと「君の指」に交互にクローズアップされていくのです。全ての音が消えて、ここがどこかも失念して、箸置きと指が、箸置きと指が、箸置きと指が、重なってグルグル回り始めたとき『ねえ、ねえって。大丈夫? どうしたの』という「君」の声に引き戻されるというショートムービー。親しい人の身体の一部をオブジェ化する、川端康成的エロスも感じます。たとえば、「君」の隣には「君」の両親が座っていたりする、そんな緊迫した状況であったかもしれない、などと想像するのです。

第二部「窓の底」

窓の底

群青の果実の床をころがるを頬で感じるだけの白昼

群青の果実で床に転がりそうなものといえば、「ブドウ」や「ブルーベリー」が思い浮かびます。それはあまり音を立てず、振動を立てることもなさそうですが、それらが「床をころが」っていることを「頬で感じる」という状況は、フローリングに直に、うつ伏せの状態で横たわっているのだろうか、と想像しました。白いレースのカーテンがふわりと揺れる「白昼」の心地よいリビングダイニング。しかし、床にうつ伏せとなると、にわかに不穏な感じもしてきます。卓上の「果実」がどうして「床をころがる」ことになったのか。風のせいだけでしょうか? 白昼の開けっぱなしの窓から入ってきたのは風だけだったのでしょうか。

すきまかぜ

さるすべり幹をつたった雨粒を指にうつして蕾に垂らす

通っていた小学校の教室の窓の前には池があり、その池の水面へ張り出すさるすべりがあったことを今でも鮮明に覚えています。その幹はすべらかで人肌のようでした。そのなめらかな肌へそっと「指」を這わせて「雨粒」を「指にうつして」それを「蕾に垂らす」に、耽美を感じます。叙景だけで成り立っている短歌ですが、すべてを暗喩でとらえることもできる。とても好きな歌です。

しづけさを立ち上がらせる歯触りのこの果物の名は「なし」という

定型の魔力と音韻が相まって、なしを齧る口元のクローズアップのみで宇宙を感じさせるとてもすごい歌だと感じました。「しづけさを立ち上がらせる」「歯触り」という把握、「この果物の名は「なし」という」という完璧な下の句。なしという果実の透き通るような生白さや、シズル感。リンゴほど密ではないことからくる空隙の感じ。この句もまた耽美な性を暗喩として感じます。

水の降る星

つくしこわい見れば見るほどつくしこわいうちの近所で人が刺された

春先に夥しいつくしの生える土手を見て、つくし前もつくし後も、そこにそんなに生えていることに全く気づかなかったことに唖然とします。「つくし」は「つくしんぼ」というくらい愛されていますが、実物をよく見ると、頭のところはトライポフォビアになりかねないし、ハカマも菌類みたいでちょっと怖い。炒めて食べたりしますが、摘み取ってザルに大量に横たわっているのをみると、植物なのか昆虫なのか分からなくなりそうになることもしばしばです。この短歌を読んで、普段は気づかないけどたくさん生えていた「つくし」みたいに、顕在化して初めて分かる「殺意」や「事件」がたくさんあるという隠喩的恐怖ととることもできそうですし、近所の野原で人が刃物で刺されてそのときの血がついたつくしを見てしまって、血まみれの人間の記憶と直結してしまった、という風にも読めると思いました。「つくし」は日常性に分類されるようでいて、現実には案外非日常的なものなのだという認識のギャップ、つくしんぼ、といイメージとのギャップ。これまで、イメージとしてふんわりととらえていた「つくし」から、現実に在る、この(ここにある)「つくし」に変えた何かが「人が刺された」と関係しているのかなと思いました。

さいごに

 とても楽しい歌集だと笑顔で読んでいたのです。設定が奇妙だったり、展開がシュールだったりして、退屈な日常もこんな風に捉えていけば楽しめるな、と思いながら。だけど、もう一回転して、共通認識されていると思っていたことを共有できない「他者」と出会ったとき、笑顔は凍りつかないだろうか。楽しいの「笑い」から、理解不能をやんわりと示す「作り笑い」に。あなたの心は理解不能だけどとりあえず、敵意はないから、あなたも攻撃はしないでしょうね。という防御の笑いへ。ギャグ・シュールには全て、この「不穏さ」があり、常に有事の一歩手前の不安定さにあるのだと、なんだかヘンかもしれませんが、そんな感想をもちました。けっして、不快だとか、読後感が悪いとかということではないので、誤解なきようにお願いします。帯に書かれた笹公人の「凶暴にして繊細。野蛮にして紳士。/彼の作る短歌は、いつだって凶器の味がする。」は、もしかしたらこういう感覚のことなのかなと、これは保留中ですが考えています。

追記

ギャグ・シュール・ある方向性をもった見立て(飛躍)の短歌を読む際、穂村弘さんの『シンジケート』を思い出しています。とくにわたしは「寺山修司風」「石川啄木風」「俵万智風」などに分類してしまいがちなので、そういう乱暴な括りに留まらず、それらとの差異を手掛かりに、目の前の歌と向き合って鑑賞できるようになりたいと思っています。

とてもうれしい サイン本です。

 

文フリ東京42で購入した『日々を泳ぐ』『#小柳とかげを編む』『少し、祈る」小柳とかげ より好きな短歌を

はじめに

文学フリーマーケット 東京42

2026年5月4日 於 東京ビッグサイト 1-4ホール

購入ブース 「短歌とガラス」H23.24

『日々を泳ぐ』『少し、いのる』『#小柳とかげを編む』

好きな短歌と、少しだけ感想を

その前に一つだけ。ご紹介する三冊はすべて「短歌」と「写真」との組合せで構成されていますが、このブログでは短歌の感想のみを記載しています。なのでぜひ、それぞれの冊子を実際にごらんいただきたく、お願いいたします。

『日々を泳ぐ』小柳とかげ

帰りみち乾いたところだけ踏んで
習った歌をそらんじてみた

帰り道に水溜まりがある、という状況はもう希少なのかもしれません。今は、未舗装道路のほうが珍しいくらいですもの。この「帰り道」もアスファルト道路とすれば、雨が上がって乾いた場所が現れてきているくらいの時分でしょうか。急速に雲が晴れていくとき、濡れたアスファルトは合唱曲のようにきらめいて、下校する子は慎重に、「乾いたところだけを踏んで」いきます。世界が奏でる光の歌に対抗するかのように、「習った歌をそらんじ」ながら。

輪郭を与えられたものたちは死に方を知らず海へと向かう

存在とは分かたれることであり、分かたれることは輪郭をもつことです。どのように分かたれたのかを知らず、どのように消えていくのかもわからない。輪郭を与えられたことと、命を得たこととは別のことですから、命を絶つ方法は知っていても、輪郭を捨てるという死に方は分からないのだと思います。だから海を目指します。もっとも輪郭が少ない水平線までの空間に自らを拡散する錯覚に、安楽な死の快楽が近似することをわたしたちは知っています。

朽ちていくだけのものが美しいって
造花が笑うパチンコ屋前

シチュエーションが完璧な歌だなと思いました。造花やパチンコ屋は、ある意味で「永続」を希求するものと感じます。造花やパチンコ屋に美しさを感じることはあまりありません。はかなさ、というのは美しさに欠かせない要素なのだと思います。一方、「美は永遠」という言葉も存在します。しかし「永遠は美」と言い換えることはできません。「朽ちていくだけのものが美しいって」の上の句を、始めは造花の自虐ととっていましたが、今はそれとはまったく逆の、「朽ちていくだけのものが美しいってwww」という反語的感情ではないかと思っています。「朽ちていくものだけが」ではなくて、「朽ちていくだけのものが」と言ってるところが重要なのだと思います。それは生花であり、動物であり、人間そのものです。わたしは、後者で読みたいなと思います。パチンコ屋までゲラゲラ笑う造花。「朽ちていくだけのものが美しい」という価値観そのものを笑い飛ばしているパチンコ屋前の情景として。

今ここで私が車に轢かれたら
買った氷が解けてしまう

コンビニで袋に入った氷を買うのはどんなときだろうと考えました。現実には家の製氷皿でせっせと氷を作っているので、買うことはあまりないのですが、それでは追い付かないくらいたくさん氷が必要なのは、みんなで飲む前とか、かき氷大会の準備をしているとか、何か楽しいことの前ではないだろうかと思いました。役割分担で氷を買う係になった私は、もしかしたらこの集まりには乗り気ではないのかもしれません。グループの主要メンバーではない、もしかしたら便利に使われている立場であったとしたら、「車に轢かれた」「私」の心配より、「買った氷が解けてしまう」ことを怒るのではないか、というのは救いがなさすぎますね。本当に、ふとそう気づいただけだと、そういうふうに読みたいなと思います。この気づきから、「だからちゃんと帰ろう」までの空白。それだけ。それだけ。

柔らかい光はゴミに輪郭を証明写真機にも朝が来る

「柔らかい光」に照らされた「ゴミ」と、「証明写真機」の並置ととると証明写真を撮影するときの照明に照らされたわたし=ゴミという図式が成り立つように思えます。「柔らかい光」とは「朝が来る」ときの黎明の光とすれば、その光はゴミに輪郭を与え、証明写真機そのものを照らしているという情景になります。「輪郭」というのは先の短歌に出てきていますね。わたしはそれを「存在」と読みました。「ゴミ」に「輪郭」という言葉は、「ゴミ」のゴミ性ではなく、与えらえた「輪郭」に比重があると考えました。冒頭に書いた「ゴミ」=「わたし」の考え方は修正しなければなりません。証明写真機の光によって「わたし」も「輪郭」をもつ、つまり「存在」することができると。それを「朝」と呼ぶ。希望があります。

『短歌とガラス 少し、いのる』小柳とかげ 猫とステンドグラス

この冊子では、ステンドグラスの不定形のガラスをペンダントにしたもの(の写真)と短歌とが対になっています。

慰めの言葉は桃のようだった

素手で触っちゃいけなかった

短歌というよりも短詩と感じる歌でした。「慰めの言葉」は繊細な心遣いでできているので、渡し方や受け取り方に粗相があると、桃のようにすぐに傷んでしまいます。この短歌で、「素手で触っちゃいけなかった」と後悔しているのが、「慰めの言葉」を渡した側か、受け取った側か、その両方に思いを馳せています。

二時過ぎのお風呂に浸かる
斧落とす泉はどんな色だっただろう

あえて「二時過ぎ」というからには、午前二時だろうと思いました。遅い時間に一人湯舟に浸かっているとき「斧落とす泉はどんな色だったろう」と、ふと思う。「泉」は樵が斧を落とす寓話のあの「泉」のことで、その泉の色を気にしたことなんて一度もありませんでした。これは、答えも理由も必要のない、完結した疑問なのだと思います。湯気の彼方へこのまま消えていくのがよいのだと思います。

透かし見る世界は黄色
罪のない人の
線香花火落ちない

「黄色」は注意、と刷り込まれている身からすると、誰の線香花火がすぐ落ちるのか見極めたほうがいいと思いました。一方で、「罪のない人の/線香花火は落ちない」という言葉そのものが「黄色」なのかもしれないとも思います。刷り込みです。仲間で線香花火をやっている中で、「この中に裏切り者がいる」という色眼鏡で見ている人がいて、これはその人の短歌なのかもしれません。

夕立に
溺れていける気がしてた
赤い残映


「生きてていいの?」

シュールな映画のワンシーン。を感じました。「赤い残映」というフレーズがひじょうに強く、「夕立」。池の水面を激しく打つ雨。その池にゆっくり沈んでいくわたし。打ち付ける雨に弾ける水面。手で掻く池に生じる泡と波。大きく吐きだす息の泡。沈んでいくとき見える水面。それらすべてに「赤い残映」が揺らめいて。救い出された岸にあおむけのわたしを照らす赤い残映。「生きてていいの?」 という一連のショートフィルムが彷彿しました。「わたし」は赤いワンピースを身に着けていて、と、空想が暴走してしまいます。

もう夏も終わるし
猫と消毒とブルーハワイで
窒息したい

「猫と消毒とブルーハワイ」という魅力的な取り合わせ。「猫」は黒猫よりロシアンブルーの気分です。「消毒」はコロナ禍を経た世界という感じ。、「ブルーハワイ」はかき氷の定番であり、実際の「ハワイ」を想像させてくれます。残された僅かな夏を、好きなものばかりで満たしたいという切なる希望の歌と読みました。「猫と消毒とブルーハワイ」素敵です。

 

この星の最後の杭を持っている

だから多少は弱くてもいい

SFセンチメンタルという印象。「この星の最後の杭」は切り札になるものなのだろうと想像します。「杭」を打つのは、何かを支えるため。目印にするため。吸血鬼にとどめをさすための三つの場合に限定されますが、下の句に合いそうなのは「吸血鬼にとどめ」でしょうか。「杭」に絶対的な力があるので、それを託された人間のほうは多少弱くてもいいんだと。真ん中の一行空けの気持ちには、聞いている人の「?」が入るのかもしれず、「だから多少は弱くてもいい」の後にも、同じく一行空けがあるのかもしれないと考えたりします。あ、「この星」の崩壊を防ぐために打ち込まれた「最後の杭」を自分がしっかりと支えて「持ってる」「だから(この杭が)多少は弱くてもいい」という状況が思い浮かびました。ただ、そうは言うものの、わたしは書かれているままを受け取って、それぞれのフレーズが醸し出すスペースオペラの気分を満喫しているのです。

富士山は何色だろう
常識が揺らいでいく夜、自販機の音

色を問う歌。「富士山」は青で描くことが多いですが、赤富士というのも有名です。「富士山は何色だろう」と疑問をもつことはあまりないと思います。だからこそ、そういう疑問が浮かんでいる状況が、すでに樹海的なのではないかと思うのです。「自販機の音」といえば、精進湖付近の道路サイドにあるちょっとした砂利の広場に、公衆トイレと自販機があって、それらは人が誰も来ない真夜中であってもずっと、そこのあるんだなと思うと、不思議な気持ちになりました。「自販機の音」は、自分たちが買った音では、ないのでしょうか。自分たちのほかには車もなく、誰かがいた気配もなかったのに、背後の自販機にガゴンッとジュースが落ちる音が響いたのです。チャリンチャリンと釣銭が落ちる音がしたのです。「富士山は何色だろう」という思いがけず取りつかれたこの疑問に正解できなければ、元の世界に戻ることはできないのかもしれません。

『5周年特別企画 #小柳とかげを編む』

この冊子は小柳とかげさん撮影の写真100枚と短歌50首を、それぞれ編者の感性で選択してフォントやレイアウトも自由に決めて並べ、小柳とかげを編む、というものです。凄いです。同じ短歌でも組み合わせる写真が異れば受ける印象は変わります。以下に挙げた短歌の後ろの()は、編者名で、他の編者のページにも同じ短歌はあったけれど、わたしが好きな組み合わせだった、という意味です。

ならいっそ、君を呪いたかったな 雑木林を駆け抜けて冬(OJAICO編)

二句目字足らずの、五・六・五が、心残りな感じにマッチしていると感じました。「ならいっそ、」の読点から、「君を」、「呪い」、「たかたったな」と区切ってよむと、とてもリズミカルなのは、走っているリズムがあるからでしょうか。そしてこの初句の「ならいっそ、」が、あまりにも豊かです。

人生をドラマチックにしたいなら冬の朝を歩けばいいの(キョウスケ編)

下の句六・七ですが、冬の・朝をと区切って読むと全く自然であるのみならず、「冬の」「朝を」とそれぞれを強調している読み方になって、納得です。

受付で名乗りたい名があったけどひとりで滅ぶトリケラトプス(たかたの編)

とても好きな歌です。「ひとりで滅ぶ」「トリケラトプス」の押韻がすごく気持ちがいいです。わたしはこの「受付」を「小児科」でイメージしていて、「受付で名乗りたい名」という観点で、名前を考えたことはなかったなと思いました。「ひとりで滅ぶトリケラトプス」はなんとなくラジオネームにしてみたいなと思ったりもします。(次はラジオネーム「ひとりで滅ぶトリケラトプス」さんからのリクエストで、みたいな)恐竜は結局ぜんぶ滅びてしまいましたが、ひとりで滅ぶものとして、図鑑を見ていてどことなく、不器用でさみしそうに見える「トリケラトプス」をもってくるところ好きです。

愛してるってことにしておくからさ、君も気楽に好きって言って(眞琴編)

「愛してる」「ってことにして」「おくからさ」で、定型なのですが、初句を普通に「愛してるって」の七で読むと上句全体に少しぶっきらぼうな感情を感じます。(本当は愛してないけど)「愛してるってことにしておくからさ、」という感じです。そして下句では相手に、(だから)「君も気楽に好きって言って」と勧めているのですが、上句と下句とでは、なんとなくつり合いが取れていないというか、「愛」を担保するから「気楽に好きって言」えるでしょ。というわけにはいかない気がするのです。ここでは対象が何なのかが気にかかります。「君も」の「も」が重要なようです。たとえば、おおっぴらに「好き」と言いにくい歌手や芸能人や食べ物などがあって、それをわたしも「愛してる」ってことにしとくから、君も軽い感じでカミングアウトしちゃいなよ。みたいな感じだと、意味付けはできそうですが、例によってわたしは、わからない状況そのものが楽しく好きだなと思って、読んでいます。「君も気楽に」っていうところ。本当に「気楽」な人なんだなと思わせておきながら、実はすごく身を削って、相手が楽しめるように気を使っているんじゃないか、と感じました。

おわりに

わたしは、どんなものでも自分に引き付けて読む癖があって、小柳とかげさんの短歌はことさら、妄想の暴走をとめられなくなるくらい豊かな世界に開かれていました。短歌を通して世界を眺めた時に、普段自分では見ない角度や色の光に浮かび上がる不思議な情景に我を忘れる感じです。ブースにはガラスのアクセサリーの販売もありました。買えばよかったな。

 今後も、多方面でのご活動を楽しみにしております。