吾の内の景色へ帰還すべきとき魂たつた一つ携へ
はじめまして
宇祖田都子です。「うそだみやこ」と読みます。
g.o.a.tへの初めての記事(※当時)なので、自己紹介をします。
今は主にtwitterと「うたの日」で短歌を詠んだり、読んだりしています。ほかには、「ショートショートガーデン」という400文字以内のショートショートを投稿するサイトに「宇祖田都の話」というタグで、わたしの身の回りのことを書いたりしています。
これまで、自分のブログスペースをもっていなかったので、短歌関係でどうしてもまとめておきたいことがあったら、noteの生駒通子さんのスペースを間借りして、書かせていただいていました。
これからは、こちらに「短歌」関連のまとめや、日記めいたものを書いていこうと思います。また、スマホを持った暁には、自分で撮った写真も併せてあげていきたいと思っています。
エピソード0
今回タイトルにした短歌は、もう二十歳の頃の、短歌を作り始めたばかりの頃のものです。
折角自分だけのブログスペースを持つのだから、これまでの自分をまとめておくのもいいかな、なんて思いました。
大学進学を期に一人暮らしを始め、それまでは全く興味がなかった短歌を作ってみたいと思ったきっかけとなったのは、寺山修司さんと、石川啄木さんでした。
とくに石川啄木さんの、駄目な自分を詠み捨てていく(でもそんな自分が愛おしい)という、ナルシシズムに共感してしまった、のでした。消えかかったストーブの石油臭い台所のフローリングに座って、太宰治さんの『晩年』と併せて、何度も読み返していた想い出があります。
淋しかったんですね。
当時作っていた短歌はこんな感じでした。
死にたいと言う
君の声聞く夜中
温き布団の我冷たきや
消し忘れたる
部屋の灯なども
一時の喜びとなる我の魂
食事終え誰か待ちたる心地して
通り見つむも
知る顔は無し
濃く長き影我の形す
不思議にも
我が身この世にあるを知らしむ
限りなく広き世界に
地図も無く
立ち止まることさへ許されず
電話にて久しき友の声聞くも
名を忘れける我許すまじ
IV5M時代
それから大学を辞めて、美術系の専門学校へ入り、そこで知り合った人と同人誌、今ならzineというのでしょうか、を作ったり、グループ展のお手伝いなどをしていました。わたしはもっぱらテキスト担当で。
そんな中、あるメルマガを発行している人に「投稿者が少ないから何か連載してくれませんか」と言われて始めたのが「インタビュー記事の連載」でした。
メルマガはKISARAGIというタイトルで、毎週日曜日発行。現在の発行人は三代目で今年1101号という長く続いているメルマガです。そこで、「Inter_View_5_minutes」という連載を、145回続けました。それは今の自分のなかにも息づく、充実したものだったと思います。
BEFORE MINUTE
M:インタービュアーを勤めます、宇祖田都子です。(以下M)その道のプロフェッショナルの方々にお話を伺うなんて、役者不足過ぎて恥ずかしいのです、これはもう、編集の方の責任だ、と開き直って、素直な気持ちでぶつかっていきたいと思います。これからどうぞよろしくお願いいたします。さて、記念すべき第一回目のゲストは、先頃発表なさった詩集「テロル」が社会現象となっている、若者のカリスマ詩人、ワタナべノボル(仮)さんです。
引用元:IV5M 001 カリスマ詩人 ワタナベノボル(仮)
そして現在
いろいろなことをやってきたせいか、主体性がぶれぶれのまったくスタイルのない短歌を、作ってはtwitterのタイムラインに流し、素敵な短歌を読ませていただくことが楽しみです。いろいろな募集やコンテストにも参加しながら、奇跡の日常を拾っていけたらなと思っています。
こんごともどうぞよろしくお願いいたします。
次回は
さきほど少し上げた、初期の短歌をまとめて、その推敲だったり、その当時のことなんかを振り返ったりしてみたいと思います。
よろしければ、おつきあい下さい。
それでは。