宇祖田都子の短歌の話

森羅万象を三十一音に

煩悩短歌推敲指南 二

KISARAGIというメルマガに連載している内容をまとめていこうと思います。

タイトルは「煩悩短歌推敲指南」といいます。「指南」といっても、自分で自分の短歌を詠み直してみようということです。本当にもう、わたしのためだけの……

直す短歌は、昨年12月31日の108首チャレンジで詠んだ短歌です。(ブログ掲載済みです)

これを週刊のメルマガで二首ずつ直せば、だいたい一年で108首直すことができる計算になります(……よね?)

そして、来るべき2021年12月31日の108首チャレンジに備えよう、という企画です。

第二回は、007~010までの煩悩短歌をよみ直します。

007

天動説と地動説との中道を歩めとマルコ・ポーロは云わず

歌意が伝わりにくいですね。というより意味はないのです。極端な思考、という煩悩の逆は「中道」であろうと。それを身をもって実感できるのは、「磁石」を用いて地球を航海していた船乗りではないのか。地球が丸いということを実証するための航路を導くのに、星と方位磁石とは必要不可欠だったでしょう。天道説か、地動説か。そんなことは命がけの船乗りにとっては、いわば形而上学であり、必要なのは生還するための情報だったのですね。

星辰の示しまゝに漕ぎ行かむ滝轟けば引き返すらむ

008

戯れに破裂せしむる風船の意外に厚きゴムの切れ端

風船を膨らませ続ければ割れるものです。それは張り詰めている間はひじょうに薄く弱いものであるかに思われますが、いざ破裂してしまうとそのたるんだゴム膜の案外な分厚さに拍子抜けする感じがするのです。それは膨らませる前の風船よりも分厚く感じます。完全なる脱力、死の気配が漂っているように思われるのです。もう、膨らむことのないゴムの切れ端ほど、「無」の存在はないような気がします。

風船を破裂さすればいたづらに銀河の果ての動揺すらむ

009

ゾウ不在シロサイ五頭仁王立ちマレーバクには六本の足

動物園での印象でした。足りないものと多いものとを仲立ちする仁王立ちのサイ、という構図です。六本足だったかな、と六本の脚をもつバクを一瞬でも想像してもらえたらいいなと思って作りました。

象五頭不在の沼に犀沈むマレーバクには六本の脚

010

夜逃げせし向かいの家に残されし表札の名で書くアンケート

夕暮れの駅前の雑踏で、画板を首から提げた若い男女があちこちで、アンケートをとっていました。ひらがなの多い文言が、青い襷に白抜きで記されていましたが、それがどんな内容だったのかは忘れてしまいました。

雑踏に紛れられない従順な神のしもべを自認する靴

こんな風なフォーマットでまとめていこうと思います。

ご意見、ご感想などいただければ幸いです。それではまた。