宇祖田都子の短歌の話

森羅万象を三十一音に

令和三年一月自選短歌五首

短歌ってどうすれば短歌になるんだろう。

わたしは、ずっと散文を書いてきた。

だから、散文の脳になっていて、散文の脳では形容詞はご法度だった。

短歌はレトリックだ。短歌はイリュージョンを盛る器だ。

これが、今のわたしの短歌観で、そのための試作を繰り返す 日々は続く。

令和三年一月自選短歌五首

こしのないうどん一本一本を艫綱(ともづな)のごと末期の父は

屋上とダムは似ていて学校にダムがないから屋上にいる

ストローをくわえるときの唇がさよならの「さ」を用意していた

右手には生きた金魚を掴んでて焼きそばパンは温めますか?

火星基地建設作業員募集学歴不問鼻唄禁止

短歌自動生成装置「犬猿」星野しずる さんの短歌で、短歌の言葉を身にしみ込ませています。

公式を求めているのではなく、そこは、ブラックボックスのままにしておいて、感覚でつかみたいと思っています。

そんな一月でした。