宇祖田都子の短歌の話

森羅万象を三十一音に

煩悩短歌推敲指南 三

KISARAGIというメルマガに連載している内容をまとめていこうと思います。

タイトルは「煩悩短歌推敲指南」といいます。「指南」といっても、自分で自分の短歌を詠み直してみようということです。本当にもう、わたしのためだけの……

直す短歌は、昨年12月31日の108首チャレンジで詠んだ短歌です。(ブログ掲載済みです)

これを週刊のメルマガで二首ずつ直せば、だいたい一年で108首直すことができる計算になります(……よね?)

そして、来るべき2021年12月31日の108首チャレンジに備えよう、という企画です。

第三回は、011~016までの煩悩短歌をよみ直します。

〇一一

会はぬまゝ認知もされぬまゝずつと遠くの推しを崇め奉る

現場に行かないまま、アイドルを推す。同じ地平に存在していると認識してしまうのが、畏れ多い。というか、現実でなくてもいいのだ、存在を感じていられればそれで。という心情です。結句の字余りがよくありませんし、「そうですか」という感想しか浮かばない歌。共感されたとしても感動には結びつかないのでは、表に出すレベルではないのだなと思います。

啓蟄を立ち上りくる温かき息吹は地下に棲む推しの歌

〇一二

憎しみに塗りつぶされし吾が肺に影ありと云ふレントゲン技師

憎しみは「肺」に来るような気がしています。怒りは「腹」にきますね、いずれも「頭」に来るのはその後のように感じます。だいたい、感情は頭を使う必要はなくて、感情というのは主に内臓の調整不良なのでその調整を行うための物質の増減を脳で加減していたり、もしくは、内臓が調整した物質が脳を不安定にするのを脳が安定させようとするために脳が出てくるだけのことだと思います。感情は頭にくるまえにとらえたいものです。

レントゲン「大きく息吸って」と言われ あ、深呼吸久しぶりだな

〇一三

眠さうな猫抱え上げギター弾く彼の膝へと載せて立ち去る

困ったときの「猫」頼み。極力避けたいところですが、これはきちんと悪行ですね。彼のギター、彼女はあまり聴きたくないのかもしれません。猫にとってもいい迷惑。彼にとっても迷惑。猫は彼女の膝で寝ていたのですから、彼のギターが我慢ならなかったのは彼女だけなんですね。結果、みんなが不幸になるという。

フルーチェをこっそり食べて悪びれることなく置きっぱなしの流し

〇一四

中学の期末試験が学年で四番でしたといふPR

「で?」 という微妙なライン。生徒数もわからないし。だけどそれが唯一の謙遜できる自慢なのだろうな。鼻につくけど、目くじらを立てるほどでもない。ちょっと気の毒な感じすらする自慢って、ありますね。「すごいんだね」と言ってあげれば丸く収まるのでしょうが、それで似たような自慢を連発されるのもうるさいですね。

こう見えて「前へ習え」で腰に手を当てたことなどないと言われて

〇一五

黒蟻は赤蟻よりも甘かりきと云ふオーボエの上手い先輩

三句目の字余り。口語にして「甘いぜと」などとすれば収まるけれど、「ぜ」なのか「よ」なのか「わ」なのか。日本語はそれで先輩の人となりが表せるところが、頼もしく、また、悩ましいところです。もちろん、作る時点で、そこは固めておくべきなのですが。

オーボエのリードに蟻の詰まる日は楓の蜜を控えめにする

〇一六

並木道埋め尽くしたる銀杏が茶碗蒸しにはただ一つづつ

この短歌から、無数の茶碗蒸しの蓋付小鉢を想像してもらえたらいいなと、思いました。字余りになっても初句を、「並木道"を"」とするべきだったかと思います。助詞の省略の可否についてはいつも悩まされます。

有名な銀杏並木を埋め尽くす銀杏と茶碗蒸しの小鉢