宇祖田都子の短歌の話

森羅万象を三十一音に

煩悩短歌推敲指南 四

KISARAGIというメルマガに連載している内容をまとめていこうと思います。

タイトルは「煩悩短歌推敲指南」といいます。「指南」といっても、自分で自分の短歌を詠み直してみようということです。本当にもう、わたしのためだけの……

直す短歌は、昨年12月31日の108首チャレンジで詠んだ短歌です。(ブログ掲載済みです)

これを週刊のメルマガで二首ずつ直せば、だいたい一年で108首直すことができる計算になります(……よね?)

そして、来るべき2021年12月31日の108首チャレンジに備えよう、という企画です。

第四回は、012~020までの煩悩短歌をよみ直します。

012

憎しみに塗りつぶされし吾が肺に影ありと云ふレントゲン技師

 憎しみは「肺」に来るような気がしています。怒りは「腹」にきますね、いずれも「頭」に来るのはその後のように感じます。だいたい、感情は頭を使う必要はなくて、感情というのは主に内臓の調整不良なのでその調整を行うための物質の増減を脳で加減していたり、もしくは、内臓が調整した物質が脳を不安定にするのを脳が安定させようとするために脳が出てくるだけのことだと思います。

 感情は頭にくるまえにとらえたいものです。

 レントゲン「大きく息吸って」と言われ あ、深呼吸久しぶりだな

013

眠さうな猫抱え上げギター弾く彼の膝へと載せて立ち去る

 困ったときの「猫」頼み。極力避けたいところですが、これはきちんと悪行ですね。彼のギター、彼女はあまり聴きたくないのかもしれません。猫にとってもいい迷惑。彼にとっても迷惑。猫は彼女の膝で寝ていたのですから、彼のギターが我慢ならなかったのは彼女だけなんですね。結果、みんなが不幸になるという。

 フルーチェをこっそり食べて悪びれることなく置きっぱなしの流し

014

中学の期末試験が学年で四番でしたといふPR

 「で?」 という微妙なライン。生徒数もわからないし。だけどそれが唯一の謙遜できる自慢なのだろうな。鼻につくけど、目くじらを立てるほどでもない。ちょっと気の毒な感じすらする自慢って、ありますね。「すごいんだね」と言ってあげれば丸く収まるのでしょうが、それで似たような自慢を連発されるのもうるさいですね。

 こう見えて「前へ習え」で腰に手を当てたことなどないと言われて

015

黒蟻は赤蟻よりも甘かりきと云ふオーボエの上手い先輩

 三句目の字余り。口語にして「甘いぜと」などとすれば収まるけれど、「ぜ」なのか「よ」なのか「わ」なのか。日本語はそれで先輩の人となりが表せるところが、頼もしく、また、悩ましいところです。もちろん、作る時点で、そこは固めておくべきなのですが。

 オーボエのリードに蟻の詰まる日は楓の蜜を控えめにする

016

並木道埋め尽くしたる銀杏が茶碗蒸しにはただ一つづつ

 この短歌から、無数の茶碗蒸しの蓋付小鉢を想像してもらえたらいいなと、思いました。字余りになっても初句を、「並木道"を"」とするべきだったかと思います。助詞の省略の可否についてはいつも悩まされます。

 有名な銀杏並木を埋め尽くす銀杏と茶碗蒸しの小鉢

017

天上天下唯我独尊てふ言葉一期一会と二位を争ふ

 ひじょうに苦し紛れな、テーマ煩悩に縋って無理やり作った感の強い二首です。二位を争ふ、ではやはり締まらず、一、二を争う。ということをきちんと入れないとだめだと思いますが、そもそも全部が駄目でした。

 「自分よりよく出来る子と遊ぶべし」わたしに友ができない理由

018

フェロモンの前に屈する理性など捨てifよりもgotoを採る

 理性など感情の言い訳にすぎないと、わたしは常々思っています。天国より地獄が具体的であるように、理性の声は圧倒的に禁忌が多数を占めています。すべきことをシンプルに提示してそれにみんなが協同してゆくなど理想に過ぎないのだと思うと、悲観的にならざるをえません。

 出会うのが遅すぎたよという人はセックスのとき時計を外す

019

ねえ、と言ふ明るき語尾に そう? とのみ答ふる人の冷めたコーヒー

 ねえ、と言ったのが自分だ、ということがわかりにくい。軽い話題を持ち出してただ、「そうだね」と同意してほしかっただけだった、という思いが、拒否に近い疑問形で断ち切られる温度差、というようなことを考えていました。

 そう? という拒絶のような疑問形冷めていくのはコーヒーじゃない

020

一人用土鍋奮発すも不発IH非対応につきどんぶりに

 最近はIH対応のものが増えました。一人○○も市民権を得たかに見えますが、それを報告するコミュニティーを持たない一人遊びの達人にとっては、ぬるいなと感じられるのではないかと思うのです。

 劇場型犯罪自作自演するたった一人の観客のため

2021.6.13 sun 6:05amです。

久しぶりに更新できました。

職場を移って二か月半が過ぎ、ようやく時間をやりくりするゆとりができてきました。ゆとりがなければ短歌が作れないという事実を突きつけられて、わたしにとっての「短歌」って必須ではなかったのかなと淋しくなったりもしましたし、散文調や、理屈の短歌しか作れなくなって、自分で作った短歌を読みたくないがために、作ろうとすることを躊躇してしまいそうになったこともありました。

 だけど、自分で読みたい短歌を詠むためには、やっぱり書いて直して書いて直してを繰り返すしかないのだろうと思います。

 それではまた。