ことばをはなれるアプリ
短歌もどき
twitterを始めてから、いろいろな短歌に出会う機会が格段に増えました。それはとても刺激的で、豊かな体験です。そして、それと並行して、自分が作っている短歌がつまらないと感じることも増えました。
つまらない理由は明白で、「ことば」で「説明」しようとしてしまうからです。思いつくモノは、短歌の材料ではなくて、掌編などの散文にすべきモノばかりで、それを短歌の詩形に無理やり収めようとするから、そういうことが起こるのだなと思います。
短歌は短歌として産まれる。それは短歌の詩形で表現されたときに輝く。
わたしが今作っている短歌というのは、ほとんどが掌編にすべき題材を、三十一音のショートショートに無理やり仕立てたようなものばかりで、短歌の詩形である必然性がないものでした。
発想の手掛かりとして「ことば」に頼りすぎていて、もっと正しくいうならその「ことばの既存の意味」に頼りすぎていて、そこから状況、感情、展開、といった小説のプロットのようなものを「ことば」で組み立てていって、三十一音のショートショートに収める作業によってできた短歌らしきもの。だけどそれは、短歌という詩形の力を発揮できない散文であり、散文という理路整然とした展開を抑制されてしまった短歌もどきでした。
わたしは短歌で一体なにがしたいんだろう。という疑問を抱えています。
詠みたい短歌
ここで、わたしが詠みたい短歌はこれです。と例を挙げることができればよいのですが、それができるのなら、このようなブログは書かないわけで……
理想としては、散文みたいな短歌ではなくて、因果で説明する短歌ではなくて、抽象的な言葉を用いるのではなくて、できるだけ、具体的で、既存の意味を離れ、無理のない定形で、表現したいことは不足なく表現しつくされていて、なおかつ様々な読みができる詩。ということになるでしょうか。
とはいえ、これらをすべて満たした短歌をはじめから作ろうとすると、途方に暮れてしまいます。これらの理想を短歌回路として身体に組込んでしまうことが理想です。そのためには、メソッドと反復訓練が必要になるでしょう。では、メソッドとは?
ことばをはなれるアプリ
折り紙の駱駝は風に嬲られて暴力だけが波紋を残す 宇祖田都子
引用元:twitter2021/7/4
上記の短歌は、これまでの作り方とは違う方法で作りました。
テーマは「波」でした。しかし従来のわたしの短歌回路では、「折り紙の駱駝」や、「風に嬲られる」や「暴力」といったワードは出てこなかったと思います。
マンダラート
こういったワードを引っ張り出せたのは、「マンダラート」というアプリを活用したためでした。
3×3のマスの真ん中にテーマとなる言葉を入れて、そこから思いつく言葉で周囲のマスを埋めます。そしてまた、それらの言葉を真ん中にもつ3×3のマスを作って、同様に埋めていきます。
わたしは「ことば」に対する執着が強すぎるので、その強すぎる執着を逆手にとって、多くのワードを強制的に挙げるよう負荷をかけることによって、既存の回路を焼き切ってしまえたら、というのが、マンダラートを活用するにいたった理由です。
※マンダラートにはさまざまな活用方法があります。上記はわたしがワード出しのために行っている方法であるにすぎません。
https://applion.jp/android/app/com.dip.mandlertapp/
mindomo
さて、上記のように集めたワードを眺めながら、浮かんでくるフレーズを書いて、それらをレイアウトしていきながら、短歌の形式を探っていくわけですが、そのためには「付箋アプリ」のようなものがよいかなと思っていました。ですがなかなかよいものが見つけられず、現在使っているのはmindomoというアプリです。
https://miro.com/aq/ps/online-diagram-and-map-maker/?utm_source%3Dgoogle%26utm_medium%3Dcpc%26utm_campaign%3DS|GOO|NB|US|ALL-EN|Comp%26utm_adgroup=%26utm_custom%3D13285576952%26utm_content%3D524497484845%26utm_term%3Dmindomo%26matchtype=e%26device=c%26location=1009435&gclid=EAIaIQobChMI05m3zM2t8gIVh6qWCh144wS6EAAYASAAEgIfKPD_BwE
こうして、二つのアプリをいったり来たりしながら作りました。
その他の例
テーマ「投」
テーア
墓石が黒雲母なら投擲の的は紅茶のティーバックだな
テーマ「鞭」
グライダーシルクの海にうねる鞭予定調和のモンキースタイル
短歌という創作
こうしたアプリを用いて、自分の中にありながら、それまで同じ俎上にのることのなかったことばを出逢わせることによって、もしかしたら「ことばの呪縛」を離れることができるかもしれない。そんな期待を抱いています。わたしにとっての短歌とは、詩を創作するための器だと思っています。こうした方法が身について来れば、またちがったアプローチを組み込んで、「理想の短歌」へ近づいていきたいと思っています。
宇祖田都子でした。