宇祖田都子の短歌の話

森羅万象を三十一音に

煩悩短歌推敲指南 五

KISARAGIというメルマガに連載している内容をまとめていこうと思います。

タイトルは「煩悩短歌推敲指南」といいます。「指南」といっても、自分で自分の短歌を詠み直してみようということです。本当にもう、わたしのためだけの……

直す短歌は、昨年12月31日の108首チャレンジで詠んだ短歌です。(ブログ掲載済みです)

これを週刊のメルマガで二首ずつ直せば、だいたい一年で108首直すことができる計算になります(……よね?)

そして、来るべき2021年12月31日の108首チャレンジに備えよう、という企画です。

第五回は、021~030までの煩悩短歌をよみ直します。

021.

膝空かば猫抱き上げて膝混まば猫抱き下ろす傲慢な人

 猫の気持ちを無視する態度。いつだって抱いてやれば満足なのだろうと決め付ける傲慢さが許せないという心情です。猫はわたしの比喩になりますが、短歌としては凡庸で、膝の繰り返しも効果的ではない遂行不足のリフレインでした。

なんとなく一人遊びの心地すも猫来たりなば春遠からじ

022.

信じれる? 着れる? 借りれる? ゴム付ける? ラ抜き言葉を理由に別る

 ゴム付ける? はラ抜き言葉じゃないところが肝心なところ。つまりは「デリカシーのなさ」を「ら抜き言葉」で表現できているか、共感を得られるかという短歌です。「ラ」は平仮名のほうがよかったかなとという末節以外に、もっと中心的な部分の遂行が必要です。

五本指ソックスなのにアーガイル柄なんて無理 もう別れたい

023.

赤ちやんのできる仕組みを正確に知りたる人のゐるホットヨガ

 言われてみれば当たり前だけど、言われるとギョッとする。そういう事象が詠めるといいなと思いました。ことさら普段は因果関係を認めていなかったという事実。それとホットヨガという身体性を顕わにする行為との相乗効果をねらってみたのです。

坂道を転げるように生きている多分わたしは坂道のほう

 

024.

他に懸想人のできてきと言はれたりければそは番外になりなむぬとぞ思へ

 

 文語を用いてみましたが、効果的とはいえなかったようです。「できてき」や、「なりなむ」「とぞ思へ」などをちゃんと使いこなせると雰囲気はでるのだろうなと思いますが、情景や感情を理解するという部分で障壁を作るのが、効果的かどうかが問われます。「しらべ」の心地よさのあと、意味をとる段になって立ち止まらせることの意義はあまりないのかもしれません。となれば、意味がとれなくとも「しらべ」の心地よさが意味を凌駕して通じる、というマジックを信じるしかないのかもしれないですね。「無意味なしらべ」抽象短歌はありうるでしょうか。

 さやしらねたねぺむらすもせなもみでともみつるかはてるはななくも

025.

生きる意味求めニトリを彷徨し双眼鏡を眺めつるかな

 生きる意味を求めて、ニトリをうろつきまわる。これはまあ及第かなと思いましたが、そこに取りあわせた「双眼鏡を覗くという行為」は、やはりつきすぎだったように感じます。

先月あたりから、短歌に飛躍を求めています。それは一首内での飛躍であったり、その歌そのものの現実からの飛躍であったりでよいのですが、いわゆる「短歌調・現代短歌調」を脱したいと思っています。

コストコのでかいカートの奥底で静かに泡を吹いてる毛ガニ

026.

林檎一つ握り潰せず床上へ擲つこともできず齧りき

 実際に経験した過去・回想の助動詞「き」で終わる短歌の佇まいがすきですが、なかなか使うのが難しいですね。完了した動作を示す「つ」も同じくらいすきです。どちらも口語にはない響きがあります。

 この短歌は全て説明しているだけで終わっています。感情を表す言葉は用いていませんが、それとおなじくらい説明的で、短歌ではなくたんに報告になってしまいました。

林檎一つ握り潰せずマオタイといふ酒の香も知らぬまま夜

027.

パンナイフ鈍らなりと掌に刃を滑らせば手相変わりぬ

 パンナイフじゃ皮膚は切れないと掌の上でバイオリンの弓のようにしごいてみせたら、見事に傷だらけになって出血した、という愚かな行為の単なる報告でした。

 手相というと、寺山修司さんの短歌の頻出アイテムのような気がします。寺山さんは五寸釘で手相を変えようとしていたのでしたね。

シンプルな人生がいいパンナイフ手相を変えるのにちょうどいい

028.

何一つ認められざる文筆の継続のみを誇りとすべし

 ただただ書き続けているだけで、かつては書き続けることでなにか認められることもあるかと思い、人よりも秀でた書き手だと自らの才能を信じていた頃もありましたけれども、どうやらそれも人並み以下らしいということを認めざるをえず、

つまりは、アマチュアとして好きなコトを書けばよいのだということさと開き直りました。とはいえもともとそのようにしか書けなかったし、それを誇るなんてことも無意味なことだと知っていたのですけれども。

物心ついたころから書いている全ては遺書の綴り方かも

029.

相対性理論難し量子論なお難しゝ我生るれども

 この世をこの世として成り立たせている理屈はとても難しく理解しがたい。けれどもこうして生まれていきているのは不思議というよりほかはありません。わたしは理系の考え方が苦手なのですが、こうした理屈が難しいのは、たとえば、天動説で星の運行を説明しようとした時代の理論の複雑さと似ているような気がしています。そもそも、現実の捉え方が違っているのではないか、なんて。

トゲトゲといふ虫にトゲナシがいてそのトゲナシにトゲアリもいる

030.

赤信号遅刻間際に無視しけるその一日の後ろ暗さよ

 緊急避難的に赦されるのではないか、と自分の中でゴーサインをだしてしまう違法行為や、非倫理的行動というものがあります。急いでいるから、お金がないから、救いの手が差し伸べられないから、自分独りくらいならば、自分だけが不幸だから、など。そういう行為に対する疚しさをも感じなくなった時、堕落は始まるのでしょうか。

御守として携える『堕落論』御守だから開きはしない